蒼氓  石川達三

 極めて常識的な小説であり、その文学的な感興は作中人物の語る方言や貧困や無知などというものに負っている。即ちそれらをミレーの絵の如く写実的に描けば文学になる、という具合に。しかし例えば祈る農夫の肩に光る夕影に匹敵するような―文学的・詩的言葉というものは、この絵には見出せないだろう。つまりはるか後年詮衡委員になった開高健の口癖である、「クー・ド・グラース(とどめの一撃)というものがない」小説なのだ。しかし「蒼氓」という言葉を発掘しただけで、それを功績と考えたいくらいだが、この言葉はあたかもこの小説を指し示す固有名詞のようなものになり、他で用いられた例を知らない。

 1938年の「生きてゐる兵隊」が時の新聞紙条令にひっかかって発禁処分になったのも有名な話だが、南京市街で市民や女性が殺害される描写があるこの小説について、戦後の新聞の取材に対しては自ら見聞した事実のように語っていたが、1985年の逝去直前になって「大虐殺の痕跡は一片も見ていない」と明かしたという。本当だとすれば、その反軍思想を唱える勇気は買うにしても、この日本ペンクラブ会長、日本文芸家協会理事長の罪は重い。

 記念すべき芥川賞創設第一回の受賞作。太宰治がこれに落ちて激怒し、作品ではなく彼の私生活を難じた川端康成を「刺す」とまで思いつめた。その後、第三回の選考の前に太宰は一転授賞を懇願する手紙を川端に送っている。
(蒼氓三部作のうち、第一部のみ)

第1回
1935年前期

個人的評価 ☆

カイ 
 完成された一個の作品として、構成もがっちりしているし、単に体験の面白さとか、素材の珍しさで読ませるのではなく、作家としての腰は据っている(久米正雄)

ヤリ
力量を大いに買うが些か洗練に欠けるうらみがある。手堅い点では申分ないけれど(瀧井孝作)