2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

過越しの祭  米谷ふみ子

読んで楽しく、実用的価値もある有用な私小説。このしたたかさ、柔軟な人間知は、敬意をこめてむしろ直木賞にふさわしいのでは、と思う。最近の直木賞受賞者(推理小説か時代小説かだけ)を見れば、敬意をこめていると取られるのは難しいが。第94回 1985年後期…

杳子(・妻隠) 古井由吉

この小説は、例えば真夜中から明け方にかけて、というような孤絶した時間に、深々と読むべきである。微細なもの、微妙なものの表現の窮み。おそらく自身が限りなく分裂病に近い気質であり、発病寸前までは行っていたであろう人によってのみ書かれえた、分裂…

鍋の中  村田喜代子

不可解な小説。不可解であるにもかかわらず、そこから文学的感銘を受ける、という経験は珍しい。 高校二年生の「たみちゃん」が夏休みに祖母の家に行き、自分の十三人の大叔父叔母の話を聞く。駆け落ちした大叔父がいる。気の違った大叔父がいる。大叔父の一…

プレオー8の夜明け  古山高麗雄

例えば、技巧を凝らした小説などよりも、中学生の素朴な作文に感銘を覚えたりすることがよくある。中学生が作文する場合、自分の経験を手持ちの言葉で書くという方法しかないだろう。この小説はそのような方法によって書かれているかのようだ。もちろん書い…

スティル・ライフ  池澤夏樹

スティル・ライフ。この高踏的生活は、主人公佐々井が手を染める株取引という世界の平明さに支えられている。しかし、彼がリーマン・ショックに遭遇しないのはただの僥倖である。もしそのような事態に襲われたら、取り澄ました彼の世界はそのときあっけなく…

無明長夜  吉田知子

三島由紀夫及び舟橋聖一の見立ては「分裂病」の症状記録ということらしいが、私はこれを「鬱病」患者の手記と読んだ。心の中にある瘡蓋を引っかいているような自虐的文章が延々と続く。分裂病改め統合失調症患者になる文章には、ときおり痛切で美しいひらめ…

長男の出家  三浦清宏

もし自分の子供が坊主になると言い出した場合、具体的にどうなるのかが分る小説。それで ?第98回 1987年後期 個人的評価★★カイ 感心した。今日の曹洞宗の末寺風景がよく描けていた(水上勉) ヤリ なりゆきに主人公の葛藤がほんとうに伴っているか、微妙である…

アカシアの大連  清岡卓行

その社会的影響力から錯覚しそうだが、芥川賞は新人発掘のための賞であって、文学の最先端を指し示すための賞ではない。いくら芥川賞だからって、文学史の先端にばかりいる必要はないし、仮にそうしたくともできないでいるという現実もある。しかし、このよ…

尋ね人の時間  新井満

「現代人の心の空洞を描く、自分探しの物語」だって ? これがこの小説の文庫本につけられたキャッチコピーだ。読む前から日本人の根っからの呑気さが身にしみてくる思いがする。 一読、村上春樹風のハイカラな小説という印象。村上が芥川賞の候補になったの…

深い河  田久保英夫

読むほどに悪文が染りそうな気がするほど、結構がギクシャクした文章だ。これは決して方法的な悪文ではない。死と生が極まるようなシーンで自ずから文章が滞り、流露感を失う、というようなものではない。作者は常に精一杯叙述しようとはしているのだ。よく…

ダイヤモンドダスト  南木佳士

難民医療チームの医者としてタイ・カンボジア国境に赴いたり、後年医師でありながらパニック障害や鬱病になってしまった南木氏はもしかしたら愛すべき人なのかもしれない。それどころか尊敬すべき人であるのかも。いずれにしても著者と何か面識の機会でもあ…

赤頭巾ちゃん気をつけて  庄司薫

Wikiで見ると芥川賞受賞作でミリオンセラーになったのは八作あるが、その中で堂々三位につけている。(すでに綿矢りさには抜かれてしまったかも知れない)。受賞順では、石原、大江、柴田についで四人目ということになる。「ライ麦畑でつかまえて」をタイトルか…

由煕  李良枝

平仄、音韻とも極めて正統な日本語(例えば島田雅彦などよりはるかに正統的な日本語)によって書かれた小説。その日本語に感心するより、立原正秋が日本人以上に日本人的であったということと同じ悲痛さをここに感じるべきかも知れない。この小説の文学的内実…

三匹の蟹  大庭みな子

この「小説」に、何を感じたらいいのか、楽しめるような何かがここにあるのか、それとも何か学ぶべきことでもあるのか、しばらく思い悩んだ。そもそも白い紙の上になにやら文字がつらなっている「これ」は一体何だというのだろう。これが「小説」なのだろうか…

表層生活  大岡玲

「計算機」に擬した主人公の存在形態は、何か新しい悪の形態足りうる可能性を感じさせる。それは三島由紀夫「天人五衰」の「安永透」にその曙光が見えた悪の形態だ。人間を操作することに関心を持っていること、同性愛行為の「のぞき」見のシーンなども「安…