プレオー8の夜明け  古山高麗雄

 例えば、技巧を凝らした小説などよりも、中学生の素朴な作文に感銘を覚えたりすることがよくある。中学生が作文する場合、自分の経験を手持ちの言葉で書くという方法しかないだろう。この小説はそのような方法によって書かれているかのようだ。もちろん書いているのは中学生ではなく戦争俘虜である。しかし彼は自分の経験を手持ちの言葉以外のもので語ろうとはしない。つまり、青臭い文学青年が好む、他の文芸作品からの引用や、学術知識のひけらかしなどはここにはない。それはいいとしても、勢い洞察の深さというものもない、というのは少し物足りないところである。ここに文章はただの身辺雑記のようなローキーさを見せ、戦争経験の絶望を経過した俘虜の無頓着と、経験の過少から来る中学生の無頓着さが、似通った外観を呈することになる。この小説がある種の感興をもたらすのは確かだが、それは中学生の作文の素直さに感心するということからそれほど遠くない。
 私がこの作文から感得したことは、多分作者が伝えたかったこととは違うと思うが、「日本人よ思い上がるな、おまえたちが戦争で経験した事などせいぜいこれくらいのことに過ぎないのだ」というメッセージだった。

第63回
1970年前期
個人的評価★

カイ  こういう作品にぶつかると、他の作品の心理描写や風景描写が迂遠な作りものに見えてくる(井上靖)
ヤリ  戯画化は面白いとしても、この文章までも軽軽しいフザケぶりには少し感心できなかった(瀧井孝作)