深い河  田久保英夫

 読むほどに悪文が染りそうな気がするほど、結構がギクシャクした文章だ。これは決して方法的な悪文ではない。死と生が極まるようなシーンで自ずから文章が滞り、流露感を失う、というようなものではない。作者は常に精一杯叙述しようとはしているのだ。よく見ると、文章の結構が乱れるのは概ね人間の外的行動を描く場合で、そのほかの静的な叙述はそれほどひどくはない。
 兵站基地を描く語彙は調査なのか経験なのかしっかりしている。雲仙の米軍キャンプに勤務する米兵が、わが身の安逸に飽き足らず、朝鮮戦争で戦う米兵との間にある存在論的断絶を「深い河」と称し、それを乗り越えて朝鮮半島に渡る。キャンプで馬丁のアルバイトをしている学生の主人公はこれに病馬を屠殺する自分をなぞらえ、自分も屠殺することで「深い河」を越えたと考える。しかし戦争で敵を殺すことと、病んだ家畜の処分とは、生き物を殺すということで繋がっているだけで、その他の共通点は何もない。強いて求めれば、これまで人任せにしていたことを自分でやるというだけのことか。三島はなぜこれを「反戦小説」と読んだのか、不可解である。明らかに馬を殺すことによって主人公=作者の生は充実を示しているのに。

第61回
1969年前期
個人的評価★

カイ 私は規矩のキチンとした新しい反戦小説として読んだ。とりわけ感心したのは、ラストの数行(三島由紀夫)
ヤリ 達者な小説です。しかしうますぎるせいか、読後感にどこか空虚なところがあります。(中村光夫)