杳子(・妻隠) 古井由吉

 この小説は、例えば真夜中から明け方にかけて、というような孤絶した時間に、深々と読むべきである。微細なもの、微妙なものの表現の窮み。おそらく自身が限りなく分裂病に近い気質であり、発病寸前までは行っていたであろう人によってのみ書かれえた、分裂病の病症の記録である。ある種のその手の手記が感銘と共に読まれうるように、多くの評家は古井の文章に感嘆した。後の高橋源一郎と共に「正しい狂い方」を示した作家であると言えようか。トルストイの言葉をもじって言えば、狂気への陥り方には各人共通したものがあるが、そこから正常へと自ら治癒していく、その過程は様々である。
 
第64回
1970年後期
個人的評価☆☆

カイ  同じことをこんなに重複させて書きながら、退屈させないのは、至難の技(船橋聖一)
ヤリ  主人公の独り合点な抒情が、そのまま作者によって肯定されているようなところが、終りになるほど露骨になります(中村光夫)