オキナワの少年  東峰夫

 その意味は俄かにはつかめなくとも原初の息吹というものが伝わってくるオキナワ語と、〜よ、という口調が好ましい少年語りがこの小説の魅力。地の文になるといくつか少年とは思えない語彙も使われてしまうけれど。そして米兵相手のパンパンのあっけらかんとした素描。弾けるような少年の感覚。その感覚の命ずるまま、ヨットを盗み、暴風の来る予感の海に出て行く。それだけ。しかし、サン=ジョン・ペルスの如き詩情が横溢している。

第66回
1971年後期
個人的評価☆☆

カイ  おそらくずいぶんの努力の末にノンシャラン風の文体をつくり出したのは、手柄(吉行淳之介) 
ヤリ  そこに描きだされる「オキナワ」は型にはまった沖縄で、そのためか、結末の主人公の脱出の意欲もただ話を面白くだけという印象(中村光夫)
 
 沖縄出身の受賞作家は四人いる。いずれも沖縄を題材とした小説で受賞している。
大城立裕(「カクテル・パーティー」、中城村)、東峰夫(生まれはミンダナオ島、敗戦後父祖の地沖縄に住む)、又吉栄喜「(豚の報い」、浦添市)、目取真俊(「水滴」、今帰仁村)。大城のものが岩波現代文庫で読める以外は、他の受賞作はハードカバー、文庫とも絶版になっている。中でも東は1971年、沖縄返還という記念すべき年に受賞した。東はデビュー前にも日雇いをしたりホームレスになっていたりしたが、受賞後も編集者とソリが合わず、日雇い、ガードマンなどをしながら、制作活動を続けた。74歳になる現在、生活保護を受けるに至っている。そして出版のアテがあるのかどうかわからないが、連作小説を書き続けているという。清貧という潔さをここに感じても良いが、編集者との交渉をないがしろにする、むしろ愚かすぎる男という感が強い。せっかく丸谷才一にも気に入られたのだから、編集者の身勝手なプチ権力欲(角川春樹のごとき、プチとは言えないような権力欲にぶつからなかったことを幸いとして)など、策略をめぐらしてはぐらかすことも出来たのではないか。その方が、彼が真に書きたいという「夢」の話を読者に伝える捷径であったろう。生活保護を受けているということは、ことに資本主義と戦うと揚言している東にとって決して正しいあり方ではない。「貧の達人」などという自己規定は内田百輭ではあるまいし、空しい虚勢と聞こえるだけである。