青桐  木崎さと子

 「 病気」と「火傷」と「係累」と、すべて文章を深刻かつ重厚にする要因であるが、逆に言えばそこを外れた箇所には意外な軽躁さが漂う文章である。旧満州に生まれ、引き上げ時に人間の地獄を見た木崎という人間の深刻さを疑うことは出来ないが、受賞前にカトリックの洗礼を受けていた彼女の、地獄体験の一種の宗教的清算が、この軽躁な部分につながっているような気がする。人は肉体という条件を負わされ、愛憎に絡まれて生きていくという、いかにも小説的な、通俗的とも言えるテーマだが、この小説は結語の深遠さにおいて通俗的感傷を免れており、上質の文学になっている。

第92回
1984年後期
個人的評価☆

カイ  書きにくい人物をとに角ここまで書いた力を私はやはり認めたい(遠藤周作)
ヤリ  重い問題を作品の中に持ち込むには、余程の覚悟と計算が必要だが、ここでは提起された問題の内容自体がすでに曖昧である(吉行淳之介)

 このようなテーマの作とぶつけられたために落選する人もいれば、逆に、世の中が暗いので明るい作品を、と受賞してしまう人もいる。入選・落選は時の運。
 開高健の評に「鮮烈の一言半句」というおなじみのフレーズを見出したので、開高の詮衡歴を詳しく見てみた。彼は第79回から第101回まで24回の詮衡に関与した。内3回は欠席しているが、この間に19人の芥川賞作家が誕生。開高が積極的に推したのはこのうち2人だけ。選評で「クー・ド・グラース(とどめの一撃、鮮烈の一言半句)」に言及したのは7回を数える。詮衡委員という仕事の中では、彼はついにこのCoup de grâceには出会えなかったようだ。傑作を発見し、傑作のみが持つ「慈悲の一撃」によって安楽死させて欲しいと願うのは、彼のみならずすべての詮衡委員の、否すべての読者の秘められた願いなのではあるが。