ノーライフキング  いとうせいこう 

 第149回の芥川賞候補者にはなかなか面白そうな作家が揃っているが、本命はやはり「いとうせいこう」だろう。そう思うのは、すでに名のある人をわざわざ候補にして落とすようなことはしないだろう、という単純な理由にもよるが、しかし本当の理由は、今、彼の文学を正当に評価すべきではないか、というようなムードがあることを漠然と感じるからだ。もっとも、本来実験的な小説を拾い上げるはずの「三島由紀夫賞」に、彼は「想像ラジオ」で三度目の候補にされ、それで落とされているから、油断はできないけれど。
 受賞作発表前に、勝手に受賞者は彼と決めて、感想を述べてしまおう。もっとも、作品はまだ彼の処女作「ノーライフキング」しか読んでいない。だからその作品に対して、というよりも、むしろ、みうらじゅんとの「ザ・スライド・ショー」や、奥泉光との「文芸漫談」で見せる「ツッコミ」キャラとしての存在に対しての感想になる。
 作家にも「ボケ」キャラと「ツッコミ」キャラとがある。バカの一つ覚えと言われるの承知で言うと、「ボケ」は想像界であり、「ツッコミ」は象徴界である。多分、そうなる。多分をつけずに言うと、「ボケ」は自己陶酔的直接性であり、「ツッコミ」はイロニー的再帰性である。そして昨今の社会情勢には、恰も文学的な「ツッコミ」を待っているかのごとき、「ボケ」状態が蔓延している。もうひとつ、私がいとうせいこうの受賞を期待するのは、そうなれば、別のツッコミキャラたる太田光などが出てくる幕がなくなるだろうと思うからだ。漫才師が小説を書いても一向に構わないが、某オカルト宗教家とともに「憲法9条を世界遺産に」などと揚言する彼が、まかり間違って芥川賞を取ってしまうという悪夢は、できれば見ずに済ませたいものだ。
 「ノーライフキング」(1988年)は、「理想の時代」も「夢の時代」も終わり、「虚構の時代」が始まったときに、文学的感性でその時代を真っ先に捉えた作品だと言える。もしかしたら唯一の「文学」作品かも知れない。「夢の時代」の残滓を引きずったまま、次の「動物の時代」に入ってしまっている作品なら沢山あるのだけれど。
 「ノーライフキング」は映画にもなっているし、たとえば漫画に置換しても、この作品の主旨は伝達可能である。世には「漫画で読む世界名作文学」というようなものもあり、漫画に置換可能である部分にも文学があることを否定するものではないが、「abさんご」という、これは映像には絶対置換不可能な文学に最近触れたばかりなので、いささか物足りなくはある。「想像ラジオ」はどうだろうか