地中海  冨澤有為男

 (私小説的)心理小説と読んだけれど、評家は描写小説、絵としての小説と見なしているようだ。なるほど心理と言ってもそこにあるのは定形的なものだけなので、それすらも風景の一部とされないことはない。主人公の懸想の相手、桂夫人とあってその名を明かされない女性を、当初フランス人―桂氏のフランス人の妻だと思って読んでいた。―威厳のある肩、圧力のある胸、重みのある腰、軽やかな靴先、等々とあれば、誰しも西洋の婦人だと思うではないか。しかししばらくすると、「こころもち胴が長い小麦色の肌をした」日本人であると明かされる。なぜパリくんだりまで行って日本人の人妻に恋などしているのか。主人公の画家は、かくて人妻に勝手に憧れたり勝手に幻滅したりするわけだが、瀟洒な情景描写の下に、隠された性的な情動が透けて見え、それが卑俗なものに思えるのは如何ともしがたい。不倫を知った桂氏は主人公に「日本人らしく決しよう」と言って何をするのかと思えば、ピストルで決闘をするのだ。どこが日本人らしいのだろう。西洋にかぶれた我々らしく、とでも言って欲しい。このくだりは、小林旭宍戸錠が北海道だかどこかの原野で西部劇的対決をする、日活の無国籍アクション映画を思い起こさせた。
 どうも斉藤美奈子を愛読しているせいか彼女の茶化すような口調が染ってしまったみたいだが、決してアラ探しをしているわけでなく、あくまでも文学の豊饒を探して読んでいるつもりである。

第4回
1936年後期
個人的評価 ★

カイ 描写小説の傑作。作者の気稟で美しく包んでいる為めに、芸術本来の美しい余裕が、芳香となって湛えられている(小島誠二郎)

ヤリ 作者の眼に不安を感じるのは、作者もともに絵画として終ったからであろう。小説はこの後から起るべきと思う(横光)

 冨澤有為男の子息暉(ひかる)氏は、自衛隊に入り後に幕僚長にまで上りつめたが、自衛隊体験入隊時代の三島由紀夫接触している。彼の岳父は太平洋戦争中「藤原機関」を作って諜報活動をしていた藤原岩市。三島は体験入隊に際し、まず田中清玄に相談した。田中は親しい藤原に話をつなげ、そこで暉氏が三島の世話役になったということである。そのような人脈を辿らなければ、いくら高名な作家といえどもレンジャー訓練という高等な訓練は体験できなかったのだ。三島のクーデタを匂わす誘いに、冨澤は「それはね、三島さん、できないんです。われわれはともかく役人なんで…ご一緒することはできません」と言って断った。(以上、杉山隆男著「『兵士』になれなかった三島由紀夫」による)