厚物咲  中山義秀

 強欲で非情かつ好色な、いわば「大衆の原像」である「片野」という男の生き方が小気味良く描かれている。その片野は金銭目当てであるとはいえ、余人の及ばぬような美しい菊を育てもするのだ。片野の強欲に手を焼きながら、昔日の恩から彼と離れられず、その結びつきを友情と観想する「瀬谷」という男も面白い。瀬谷はそのような片野の晩節も彼の律儀な少年時代の延長なのだと最後に思い至るが、その瀬谷の感懐を述べるくだりは、あっさりと書いて終わりにしたほうが良かったかも知れない。そこにこそ、<省略の技法>が発揮されるべき、との思いがした。往々にして作家は、そうすべき箇所に限ってそこが自分が書きたかったことなのだと思ってつい書き込んでしまうものらしい。しかし<省略の技法>と言っても、それが「書き込みが足りない」と評されるか「渺々として余韻に富む」と評されるかは、時の運である。

第7回
1938年 前期
個人的評価 ☆☆

カイ 素材に対する解釈の深さがよく肥料の効いた豊かな彫りを浮べている。(横光利一)
ヤリ 素材が老人物であるだけに作品の進行が一律であって、展がることが出来ない窮屈さがあった(室生犀星)


 中山義秀はかの高山樗牛が出た福島県の安積中学(現安積高校)の出身で、同校出身者の文学者はこのほか久米正雄、鈴木善太郎がいる。さらに中山の他に芥川賞を受賞した作家が東野辺薫と玄侑宗久と合わせて三人を数える。他は知らず、高校ベースで一校から三人というのは珍しいのではないだろうか。