乗合馬車  中里恒子

  文中、「・・・」が頻発するのが難点。このような、「・・・」を多用する文章は文章としては低格である。会話文にも地の文にも出てくる、この「・・・」はイコール余韻、言葉の外部なのだが、それを指し示すのみで、潔く断念するわけでもなく、追及するわけでもない。ご想像にお任せします、といわんばかりのスタンスには、作者の無才といい気さを感じるだけである。 混血児が「あいのこ」(菊池寛 評)と呼ばれていた時代、親族にフランス人やイギリス人がいる一族の生活を描くが、全編、夢想に継ぐ夢想で、他者というものがいない。文化の異質性からくる葛藤も何もない。ただ西洋人がいるという瀟洒な特殊性の中に安穏としている。

 
第8回
1938年 後期
個人的評価 ★

カイ 大変にうつくしい小説だと思った。(室生犀星)
ヤリ 綺麗ごと過ぎるかも知れない(久米正雄)
 
 
 小谷野敦氏によると、川端康成の「乙女の港」「花日記」は中里の代作らしい。同作の発表後、中里が芥川賞を受けることになったが、川端は選評では少しもそのことに触れてない(当然であるが)。―少し弱いけれども素質のいいところを認めたい―とある。仮にも自分の名を冠して発表した小説の作者に対するこの評は、どうなのかと思う。当時の文壇内の人間関係や師弟関係からすれば、代作というのはそれほど不自然な行為でも没倫理的行為でもなかったようだ。しかし、その代作という師への奉仕が、受賞を左右しなかったかどうかについては微妙だ。
 久米正雄の面白い感想がある。
 ―ここで中里さんが受賞したに就ては、私は同じ鎌倉仲間の川上喜久子さんに、あの時やらなかったばかりに、やる機会を失しそうな後悔が、此人に恵まれたような気がしてならない―

その外の川端康成「代作」のリスト。
 「歌劇学校」      →近江ひさ子(平山城児の母)
 「竹取物語落窪物語とりかへばや物語」の現代語訳   →塩田良平
 「小説の研究」   →伊藤整
 小説はともかく、古典の現代語訳や、研究書まで代作者を使い、名前だけ出すというのはさすがにどうか。
 伊藤整も名前を出せない本を書かされて苦労したわけだが、伊藤整横光利一からも圧迫を受けたらしい。谷沢永一「文豪たちの大喧嘩」によると、横光利一ジョイス等の新文学を真似てホッとしたら、自分より若くて原書で前衛文学を咀嚼できる伊藤整が頭を擡げてきた。恐れをなした横光は伊藤が檜舞台に立てぬように押さえつけた、とのことである。