あさくさの子供  長谷健

 高等小学、というのは今で言う何年生なのか。多分中学くらいなのだろうけれど、子供たちの会話からも、先生たちの彼等の扱い振りからも、明確な年齢のイメージが湧いてこない。これは野溝七生子のような「肉食系」少女の、しかし「山梔」のような内的な発露ではなく、あくまでも外的な観察である。このような子供たちの生のざわめきもやがて戦争の中に飲み込まれていくだろうことを思うと、何か悲劇的なもの、すなわち文学的なものをそこに感知できるが、戦争はまだこの小説の外部にある。太平洋戦争前夜に書かれたこの小説の、少女たちを取り巻く外界は太平きわまるものだ。その太平のなかに不良少女をおいても、さしたる輝きを放つわけでもなく、ただ端的に愚かに見えるだけだった。
 これだけ、子供を描くことに腐心しているように思えた小説が、最後は教師たる自分に焦点をあてて終る。これは重大な欠陥だ。しかもそれも焦点ともいえないくらい、曖昧なぼやけたものである。しかし、あからさまに言えば、とくに終結部だけ取り上げてそれを欠点とあげつらうほど、全体がすぐれているわけでもない。

第9回
1939年 前期
個人的評価 ★★

カイ  私は嫩い女の肉体の香をさえ嗅いだ思いがした(小島政二郎)
ヤリ  少しく「瞳孔散大」の気味に終ってはいる(久米正雄)

同郷の北原白秋を描いた「からたちの花」は映画化もされたが、白秋三部作の終章「帰去来」執筆中、交通事故で死亡した。享年54。