ポトスライムの舟  津村記久子  

  端的に、つまらない小説。三島由紀夫が、よその家でもてなしのつもりで家族写真を見せられることほど退屈なことはない、という意のことを言っていたが、まさしくこれはそのあまり親しくもない人の生活写真を見せられているような小説だ。私は三島ほど意地悪くもないし、正直でもないので、何とかその写真にこめられた愛の気持ちを揣摩して、お愛想の一つも言うところだが、さすがにこの写真にはただ困惑するばかりで、お愛想の言いようがなかった。平板な日常ってそんなに大事? これって他人に聞かせるだけの話? 三島を出したついでに、大げさなことを言えば、東京裁判史観の中にいる親から生まれた世代、三島の死以降の世代の日本人がぶちあたる問題意識は、この程度のものなのか、と思った。歴史の被害者の意識もなければ、加害者の意識ももちろんない。あるのは所与としての無機質な生活である。作者はその自らの生活の拠ってきたる由来も知らず、知ろうともせず、ただその中で小さな生の甦りに感興を催しているだけ。小乗的極微の小説。

第140回
2008年 後期
個人的評価 ★★

カイ まだ三十歳の作者が内蔵する世界の豊かさを感じざるを得ない(宮本輝)
ヤリ ナガセが生活の優等生のように見えた。作者もまた細部まで計算の行き届いた優等生(池澤夏樹)