平賀源内  櫻田常久

  著者自身本作を「歴史離れ」と評し、同題材にて「歴史其の儘」の「探及者」を別に書いた、としている。いかにも「歴史離れ」で、そこでは、誰も聞いたことがないであろう田沼意次の声を、金属的であると書くことも自由である。しかし源内の生死を巡る虚構をふくめた創作部分は、いかに「歴史離れ」とは言っても、このくらいの離れ方では「歴史人物叢書」を読むのと大して違わない。選者の佐藤春夫は「所謂大衆小説を必ずしも軽侮したつもりではない」が、「直木賞作品になってしまいそうな心配もないではないと思われる程のところを文学精神の高さによって救っていたのも好ましい」とした。その文学的精神というものは、確かにこの小説をただの読み物ではなくしているが、しかしたかだか歴史書にしているだけのように思えた。文章には格調があり、いわゆる文学的表現(慣用を脱するという意味での)も散見はされる。しかしそこに何かもう少し文学的「たくらみ」がなければ、芥川が泣くというものだ。かといって直木賞には回せないし、森鴎外賞はないし。現在なら吉川英治文学新人賞というところか。
 宇野浩二の評に、「国策に向くように書いてある」とあるのは、例えば「直耕の人でなければ、三度三度の食は遠慮しなければならん」というような表現を指しているのだろう。これに比べ、白川渥の「崖」という候補作は、高評価を受けたにも係わらず「戦死者の未亡人の再婚問題が扱われていて、現今の当局の忌避に触れる点もあるようで、一般には発表できない作品と思われ」(滝井孝作)選から漏れた。

第12回
1940年 後期
個人的評価 ☆

カイ  取材と、この特異な人物を独自な方法でよく消化した構想の妙に敬服した(佐藤春夫)
ヤリ  なかなか面白い小説である。その代り、しかし、作り過ぎたところがある(宇野浩二)

 歴史上の実在人物を扱った小説が受賞したのは「コシャマイン記」に次いで二作目。横光利一の評などを見ても歴史物は現代物に較べて低く見られていた。このあとの受賞作で、時代を近世に取ったものは五味康祐の「喪神」という剣豪小説だけだし、歴史上の人物を扱ったのは、松本清張「ある『小倉日記』伝」のみである。両者はともに1952年、第28回の受賞者。清張の場合、対象が森鷗外という文人であった点が幸いしていたが、それでも当初は直木賞候補の方に入れられていた。