時が滲む朝  楊逸

 天安門事件という悲劇の傍らでテレサ・テンや尾崎豊の歌が流れているというのは何か不思議な世界だ。日本の大学紛争の時代にカルメン・マキや新谷のり子が聞かれていたことの20年後の反復を見るようである。前半部からは「パルムの僧院」のような若さの耀きを感じるが、後半部は俗に流れて失速している。その俗化は登場人物の加齢によるというよりも、すでにそもそものテレサ・テン尾崎豊天安門事件との野合のなかに胚胎している。

第139回
2008年前期
個人的評価 ★

カイ 荒削りではあっても、そこには書きたいこと、書かれねばならぬものが充満しているのを感じる(黒井千次)
ヤリ 後半になればなるほど陰影は薄くなり、類型的な風俗小説と化していく(宮本輝)

 日本在住の中国人作家というのは貴重な存在である。その作者の今後に期待すること。現在は何か孔子まで遡ってしまっているが、中国現代史としての本作に続いて、是非中国近代史を書いて欲しい。特に日中戦争の真実を書くこと。中国共産党史の真実を書くこと。彼女に期待することはそのことであり、別に風俗小説など書いて欲しくもないのだ。