ひとり日和  青山七恵

 半分も読まないうちに、この調子でまだ続くのかな、とくたびれてきた。愛されない女の内面が坦々と提示される。愛されないのも当然だ。内面がつまらないから。かと言って体を愛されたのでもなさそうだが、求められたのが心でないとしたら残るはそれしかない。体への愛、それは代替可能なもので、別の女の登場と共に、その愛であったようなものが終る。それで? と著者に聞きたくなってしまう。最後に主人公は不倫の恋に赴く。つまらないからやめろ、と言ってやりたくなる。その男への恋など彼女のどうでもいいことの一つに過ぎないからだ。しかし読者たる私の声はもちろん彼女には届かない。それは彼女の声が私に届かないのと同じことだ。これほど静かに筆を進められるのも一種の才能なのだろうとは思うが、彼女が「おひとり様の老後」に突入する前に、またぞろ余計なお節介ながら、何か言ってやりたくなる。文学の最大の難事、「笑いの文学」にでも挑戦しなさい、とでも。

第136回
2006年 後期
個人的評価 ★★

カイ 
 都会で過ごす若い女性の一種の虚無感に裏打ちされたソリテュードを、決して深刻にではなしに、あくまで都会的な軽味で描いている。(石原慎太郎)
ヤリ
 淡々とし過ぎて、思わず縁側でお茶を飲みながら、そのまま寝てしまいそう……日常に疲れた殿方にお勧め。私には、いささか退屈(山田詠美)

 意外なのはこのダルな小説を石原慎太郎が評価していることだ。この間退任したばかりの彼はその任期15年の間 、32回・37作の詮衡に関与したが、評価した作品は13作で、評価率35%。否定率はノーコメントを含めて32%。何から何までダメ出しをしていたわけではない。しかしこの数値は、新奇な作品と伝統的作品とが現れる頻度を反映しているだけなのだろう。
 詮衡委員というのは他者への批判が自作にも跳ね返ってくるという意味では厳しい仕事のはずだ。他者作を貶すならその反証を見せよ、ということになる。たまたま「文學界」で彼の新作「世の中おかしいよ」を読んだ。それは一警察人の独白の形を取った身辺雑記で、とても「小説」とは言えないものだった。それに「おかしいこと」というのは概ね頭の変な人が起した事柄なので、それらはことさら世の中のおかしさに還元できるものではない。池袋の一角に中国人街があること、中国人が探偵の募集広告を出していること、その探偵とは実は窃盗の際の見張り役であることなどは、面白い話だが、この警察官の語りでも作者本人の「書きぐせ」である、「〜そうな」、が出てきておかしい。さすがに「所詮」は出てこなかったものの。最後に、世間も知らない若いヤツが無頼な小説を書いてもてはやされているが、おかしいではないか、とでも叙述してしめくくれば、彼の文学生活が完結するのにと思った。そうすれば、大江健三郎が共感する友人E.S.サイードが言うところの「晩年の仕事」(レイト・ワーク)<、円熟や調和とは逆の地点、それまでの仕事を全部ひっくり返すもの>にもなりえたのに。