光と風と夢(候補作)  中島敦

 第15回(1942年前期)は受賞作なし。中島敦の「光と風と夢」が候補に入り、室生犀星川端康成久米正雄が評価したものの、結局受賞作なしとなった。その選評は1942年の文藝春秋9月号に掲載されたが、同年12月中島は持病の喘息で逝去した。享年33。「宝島」のスティーヴンソンがサモアで死去するまでの数年間を描く(!)虚構で、この時代に良くこのような小説を書いたものだと思うが、私小説瀧井孝作、江戸文学派小島政二郎自然主義的藝術派宇野浩二などの支持は得られなかった。時局に合わないという点もあったのだろう。「山月記」が教科書に採用されたこともあって、中島の文業は忘却を免れているが、その死後に名声を獲得するという悲劇の文人の一人だった。しかしその死後これだけの歳月を閲してみると、むしろ生前の不遇も含めて、芸術家としては幸運であると思いたい気がする。ほぼ無名のまま急性肺炎で死んだ宮澤賢治(享年37)、肺結核で没した梶井基次郎(享年31)、泰西では結核で死んだカフカ(享年40)などのように、俗にまみれることなく若死にした作家として文学史に記されることは、あらゆる作家に密かに秘められた願望のひとつであろうから。
 最近では、第142回(2009年後期)も受賞作なしで、このときの池澤夏樹の選評には「かつて芥川賞村上春樹吉本ばなな高橋源一郎島田雅彦に賞を出せなかった。今の段階で舞城王太郎がいずれ彼らに並ぶことを保証するつもりはない。それでも、今回の授賞作なしという結果の失点は大きいと思う」とある。個人的には舞城の「ビッチ・マグネット」などが受賞しなくて良かったと思うが、確かに芥川賞を取っていないがその後大成した作家の数は多い。候補となりながら落された作家で池澤が上げた作家(高橋源一郎は候補になっていない)以外の主なところを以下にあげてみよう。カッコ内は候補となった回数である。直木賞に回った作家を除く。    
 太宰治(1)、高見順(1)、織田作之助(3)、藤枝静男(3)、阿川弘之(1)、有吉佐和子(1)、井上光晴(1)、加賀乙彦(1)、金井美恵子(1)、川上宗薫(5)、倉橋由美子(2)、黒井千次(5)、後藤明生(4)、小林信彦(3)、鷺沢萌(4)、島尾敏雄(2)、立松和平(3)、なだいなだ(6)、吉村昭(4)、中野孝次(2)、等々