蛇にピアス  金原ひとみ

  最近の文庫本に氾濫しているキャピキャピ解説風に言えば、この小説を読んでピアスや刺青について知識を得ることができました、という風になるが、そうとでも言ってはしゃいでみせたいほど、この小説には他に何もない。しかし、この作品は小説として一定の水準に達していることは認めなければならない。ただ感覚的に生きていく男女の行状が書かれているだけなのだが、しかしこの小説は正直なのだ。偽悪もなければ安易に再生を探る手つきもない。そもそもそれ以前に、善を求める生の衰弱も、再生を希求する生の失墜もない。そういうゼロ地点から立ち上げられた表現というものに、如実に触れえたという感触がある。
 肉体を毀損していく若者たちの心理は、私には不可解なものとして残る。怒りを制御できずヤクザを殴殺してしまう「やさしい」青年や、サディスティックな性に快楽を求める彫師の男の突厥した性器に、ただマゾヒスティックに体を寄せている女性が、愛と呼ぶ感情もまた不可解なものとして残る。その限りでこの小説は私にとって無縁なもので終り、ただ私を通り過ぎて終わる。つまり、表現の根底にある作者自身の個体感覚から弾かれてしまうのだ。
 小説というものが、反社会的な顔をしたまま、制作と出版、販売という社会的関係に繰り込まれることが容認される世界に、私たちは永いこと住んでいる。しかし、我々はもうとうに政治的にも倫理的にも反社会的にはなれないという条件の中に追い込まれているのではないか。

第130回
2003年 後期
個人的評価 ☆☆

カイ  突出した細部ではなく、破綻のない全体を持つ小説(村上龍)
ヤリ  浅薄な表現衝動(石原慎太郎)