本の話  由紀しげ子

  「私」という童話作家と、海上保険を専攻した学者である「義兄」が出てくるこの小説を、私は勝手に私小説として読んだ。義兄の蔵書を会社の倉庫に預かっている武石公子という女性が、友人なのか親戚なのかはっきりと書かれていないところなど、私小説的な感触がある。実際にそういう義兄がいたということは年譜では確認できないので、あるいは限りなく私小説に近いフィクションなのかも知れない。
 すべての小説は私小説に向かう、と言うのは本当らしいが、それは少なくとも一度は私小説を脱しようと試みたことがある作家にこそ言って欲しい言葉だ。私小説に発し、私小説に終わる。それはそれで良い。しかその間に成人となるための通過儀礼、村の外部に出る試練の旅が必要なのだ。由紀しげ子には「警視総監の笑ひ」というような小説もあり、これは未読であるが、タイトルからし私小説ではないと思われる。しかし本作からは私小説的様態が、それも通過儀礼以前の純朴な私小説というものの様態が感じられる。それは端的には小説製作上の「気楽さ」として感知されるのだ。つまり、ただ生活と事実と所感を述べれば小説になるというような気楽さである。その気楽さというのは、ただ高名な画家を夫に持ち(後日別居しているが)、自身も音大に入りピアノを良くするという階級の人たちが見せる、戦後の物資窮乏の中でも精神的にはハイ・ブロウな生活を送っていた、その生活感覚を捉え損ねているだけなのかもしれない。しかし、これが何らかのテーマを持った「構築された」小説だとしたら、最後にボナールの絵を見て西洋と日本の文化の構成の違いに気づくというあたりは、もう少し技巧的に述べなければならないと思う。そして敗戦後、西洋と日本の断絶に覚醒したら、そのあとの文学の方法は私小説でないことは明らかであるが、作者が後年そこまで踏み込んで行ったのかどうか不祥。ただ彼女が五年後に書いた「女中っ子」という小説が、ベストセラーになり、映画化もされたということを今は知るのみ。

第21回
1949年 前期
個人的評価 ★

カイ  精神的な或る高さと確かさとを持って、それにふさわしい表現を見せている(川端康成)

ヤリ  
私は、まだ、由起しげ子の取り澄ましたような気品は、信用していない。且つ、この婦人が、高名な画伯の夫人だと聞いて、よけい、賞をやりたくなくなった(舟橋聖一)

 由紀しげ子は生涯のどこかで、「審査員というものは、セザンヌを終生落選させたという、光栄ある歴史を持つものである」と言って、およそ他人の作品を喋喋する審査員を皮肉っているが、舟橋聖一のへそ曲がりの評を見れば、それもむべなるかなと思う。しかし彼女はその舟橋の評を跳ね返して、候補一度にしてすんなり芥川賞を受賞する幸運に浴している。―経歴を調べると彼女は69歳で没するまで盛んに小説を書いたようであるが、賞となるとこのあと「小説新潮賞」を取ったくらい。