ハリガネムシ  吉村萬壱

 ありそうな男とありそうな女が、いかにも現在風の言葉を交し合う。どんなに悲惨なことでも愚劣なことでも、それらはいかにもありそうなことで非現実感はない。しかし、そのような現実の中にいて、その現在の崩れた口語をしゃべる男の、「私」という一人称語りの文語/書き言葉がしゃらくさい、というよりそこのところに現実感がない。この「私」は一体誰なのか。この「私」は小説の作者そのものではないが、流れ去る語り言葉(口語)に対して、書き言葉(文語)を固定させていく特権者である、という点で、小説の作者と同じ位置にある。いわば小説というものには不可避のそして不可視の幻想の存在。前半では実は口語が文語を制御していた。しかし、後半その文語、「私」が暴走する。ハリガネムシは「私」の中に潜む破壊衝動の謂いである。そのときもはや口語は消えてなくなる。口語は人間と人間の距離を測り調整するために変形していく言葉だが、文語はあくまでも観念である。「私」は当然のように暴力を呼び寄せる。血と精液。緊縛性交。集団暴行。その観念が肉を潰し、肉を裂く。ヤクザさえ影が薄くなる、恐るべき暴力の小説。
第129回
2003年 前期
個人的評価 ☆☆
カイ  無駄や独りよがりや顕示的なところが全くない。客観視する意志と力をもっている(河野多恵子)
ヤリ  読んでいて汚ならしくて、不快感に包まれた(宮本輝
)