中陰の花  玄侑宗久

 「現役」の僧侶であるから、当然死がテーマとなるが、さしたる感興を覚えなかった。僧侶で作家と言えば今東光であるが、彼は瀬戸内寂聴同様、小説を書くようになってから出家したもので、長男として実家の寺僧職を継いでから小説を書き出した本作家とは若干異なる。その違いが今後小説にどう現れるのか興味深くなくもない。あるいは武田泰淳の如く隠然とした大家になるやも知れない。しかし武田泰淳は僧侶の風貌を帯びていたが、彼はお寺の三男でみずから僧侶になったことはない。それにしても選者の誰一人、ことさらに否定的評価をしないのは、どういうことか。本作のベースには、インド生まれの仏教というよりも、土着の拝み屋や様々の新興宗教を生んだ、死の不安に性急な解決をもたらす超常的なものへの依存があるように感じられた。まさしく日野啓三評に言う「宗教と呪術の次元が重層する日本人の無意識の現実」である。これは仏教へのリテラシーがほとんどない、私という人間の感想に過ぎないが、評者たちが文字通り引導を渡されたように沈黙するのを見ると、ますますそのようなことを感じる。

第125回
2001年前期
個人的評価 ★★

カイ  依存の極致が、かえって依存から自由である、かのような「たたずまい」を見せる(古井由吉)
ヤリ  肝腎の中陰の花のゆらめきを言葉でしか感じることができなかった(三浦哲郎)