聖水  青来有一

  一読なんらの感興なし。文章もただ平板とだけしか思えないもの。そしてそれは少し複雑なことを表現しようとするとたちまち文の結構が乱れるといった態のものだ。文庫本解説者の田中俊廣氏によると、「信仰や魂の救済は可能か」ということがテーマらしいが、はて、それって未だに文学のテーマ足りえているのか。哲学がとうにそれに対しては回答を与えているのではないか。哲学がこの問題になした詳細精緻な貢献、それに要した膨大なエネルギーを思えば、この小説にあるのは、擬似的解決を求める、ただの衰弱した文学的身振りだけだとしか思えない。逆に言えば、信仰や救済などそれこそ宗教や哲学に任せておけばよいのである。文学にはもっと悦楽がなければならない。
 海外ではごく普通の年に一作というペースは、出版ジャーナリズムが肥大した日本の職業作家にはとうてい許されないものらしいが、青来氏(セーラームーンから取ったペンネームらしい)が公務員を続けながら、このペースを守っていることには好感が持てる。彼が長崎市平和推進室長の職責に答えるべく書いたと思われる連作「爆心」は機会があれば読んでみたい。題材からしてそこに悦楽があるとは期待できないにしても。

第124回
2000年後期
個人的評価 ★★

カイ ガンを病む父親を中心に背教キリシタンの末裔と伝えられる一族の入り組んだ人間模様と皮肉な運命を力まずに描いて破綻がない(三浦哲郎)
ヤリ 素朴リアリズム風の知覚様式と直線的な物語り構造は退屈(日野啓三

 石原慎太郎が褒めているつもりで、「良き素材を得れば悪くてもアーサー・ヘイリーほどの作品はものすることが出来るだろう」と評している、そのカン違い振りが面白い(アーサー・ヘイリー芥川賞 !? )。別に作者に通俗性を認めて皮肉を言っている訳ではないのだから。彼ほど他の文学を読まない(読めない)作家がいてもいいが、詮衡委員としてはもう少し本を読んでも良かったのではないか。