或る「小倉日記」伝  松本清張

 後年の作風を知る人は松本清張直木賞ではなく芥川賞で出発していることを意外に思う。この両賞の入り繰りというのはたまにあるようで、純文学系とされる井伏鱒二や梅崎晴生は直木賞の方だし、逆に田辺聖子宇能鴻一郎芥川賞なのだ。この頃はまだ両賞の詮衡委員を兼務している委員もいるので、混迷はなおさらだ。どう見ても大衆文芸系である大家に難じられて、苦汁を嘗めた純文学作家も中にはいたことだろう。松本の場合、掲載誌が「三田文学」で純文学系なのに、最初は直木賞候補だった。それが詮衡会の席で芥川賞に回すという提案が出て採用され、そのままめでたく受賞した。面白くいい小説だが、本作の場合、題材が鴎外なので純文学と見做されただけであり、その内容が果たして「純」文学なのかという疑念が萌す。「この小説は鴎外におんぶしていると私が評した。一方に鴎外のイメージを描いてこの小説をよむ場合と、無名の人間の過去をさがして読まれる小説の場合と、いずれがとくかという意味であった」という丹羽文雄の評を見ると、この疑念は当初からあったものらしい。その後、すでに大家になっていた松本を、某純文学全集の編集に際して、入れるか入れないかでモメたことがあった。三島由紀夫が松本を入れることに猛反対したらしい。一方、松本は松本で、これで根っからの反権威に火がついたのか、その意趣返しのように、小林秀雄の「本居宣長」の日本文学賞受賞に際し、委員としてその受賞に強硬に反対したりしている。
 純文学と大衆文芸。なまじ日本に権威ある二つの賞があるために、この二つの間のどこに線を引くかがいつも問題になる。純文学の判断基準を、純文学論争の中での大岡昇平の批判、松本清張の小説には「見返してやろうという弱者の僻みはあるが、ほんとうの意味の人生の観照はない」ということに置き、大衆文芸を、「俗情との結託」ということにおくと、後年の推理小説作家像という予見を去り、純粋にこの作品を単独的に玩味する、つまり作家という存在を消して純粋にテキストとして本作を読めば、少なくともこの作は弱者の僻みというような心情から免れ、人生についての高度の観照を得ていると判断される。障害者のひたすらな努力が無に帰する悲哀、という「俗情」との結託にしても、そもそもこの俗情と、それに対する高踏的感情との間に明確な仕切り線はない。その感情が大衆に蔓延しすぎて慰撫としては無効になっているか、まだ新しい形式の感情なので選良にとっても十分異化作用を伴っているか、その程度の違いに過ぎない。どのような高踏的な作品でも読者を得て社会的な存在になった場合、学術書でも哲学書でもないのだから、誰かしらの感情と結託しているのは当然である。
 本作は全く破綻というものがない文章で書かれており、その題材からして十分にある新奇なもの(ノベル)の提示でありえている。

第28回
1952年 後期
個人的評価 ☆☆

カイ  特異な取材をあざやかな組み立て方でじっくりと処理して落ち着いたソツのない文章もよい(佐藤春夫)
ヤリ  私一個としては、何ンらの感銘もない(舟橋聖一)