花腐し  松浦寿輝

  ずっと松浦寿輝はすごい人だと思っていて、それは芥川賞受賞者で文学博士で詩人としてもH氏賞も受賞していると思っていたから。しかし最後のH氏賞は私のカン違いで、松浦は高見順賞、近年は萩原朔太郎賞を受けているが、詩の芥川賞と言われるH氏賞は取っていない。どうしてカン違いしたのだろう。三木卓と間違えたわけでもないのに。しかしとにかくパリ第三大学の文学博士であり、先年まで東大教授だった。文壇アイドルの道を進むのであれば辻仁成だが、正統なる文学者の道を歩むのであれば、誰しも松浦に倣うべきだろう。そして受賞作のこの表題。小説のタイトルを探すためにだけでも、人は須く万葉集を読むべきだ、と思わせるほどの魅惑的なタイトルだ。・・・しかし、すごいと思ったのはここまで。実際に小説を読んでみた後の松浦観は残念ながら少し減価してしまった。特に、いかにも当世風な娘アスカとの情交シーンが読んでいてなんだか恥ずかしいような気がした。例えば結合部も露わな性交の露骨な画像があったとしても、それよりも朦朧としたアスカの放つうわ言のほうが読んでいて恥ずかしく、男の内面の描写すら恥ずかしいもののように感ずる。そこにまた死んでしまった昔の恋人の記憶が重ねられるという展開になると、これはいたたまれなく赤面してしまう。なぜか。なぜこのようにしか愛せず、このようにしか性交できないのか。文庫本カバー裏のキャッチに曰く「陰々滅々とした雨の向こう側に、生の熾火は見えるか」。どうやらこの辺に既に廉恥の原因がある。「生の熾火」を探すといっても、それは小説がえんえん繰り返してきた再生を模索する文学的身振りに過ぎないからだ。

第123回
2000年 前期
個人的評価 ★★

カイ 都会空間への精妙な感覚と描法(田久保英夫)
ヤリ 物語の組み立てにやや無理があり、そのために後半、観念が露わになってしまった(田久保英夫)

 選評を読むと、受賞したのが不思議なくらい気乗り薄な評ばかり。これは近年の受賞パターンである毛並みの良い人とそうでない人との抱き合わせ授賞の一つなのか。今回の毛並みの悪い人は町田康
 組み合わせの例。前者が毛並みの良い方。
第146回、円城/田中、第144回、朝吹/西村、第130回、綿矢/金原(彼女は高名な翻訳家の娘なのでこれは該当しないか)、まだまだあるけれど、あとめぼしいものは第74回の岡松/中上。