悪い仲間・陰気な楽しみ  安岡章太郎

  いよいよ上野千鶴子氏言うところの、日本版ミニマリスト第三の新人」の登場。一読、なんだか生ぬるい小説のように思った。「陰気な愉しみ」も同様で、言葉の内圧が極微である。安岡にはなんとなく不良少年というイメージがあったが、こういうノンシャランな文書を書けるのは意外と育ちがいいためなのかしらん。その父は陸軍獣医少将だったという。はてどうなのか。とにかく、私にはどこがおもしろいのかさっぱり分らない小説だった。しかしこれでは私の鑑賞力(?)が廃ると思い、講談社文藝文庫の巻頭を飾る「ガラスの靴」(2年前の芥川賞候補作)まで読んでみたが、やはり同じ。カタカナの多用も気になる。外国語とオノマトペが多いためだけでなく、漢字を使うようなところも片仮名ですませている。それがなんとなく漢字を使うことに現われる、人間と言葉との規矩正しい関係や通常の言葉との健康な距離を揶揄しているような嫌な感じがする。表現の革新は他の手段でなされるべきではないか、と感じたが、しかし現今の小説を読むとまさにそのような手法で文学を改変しようと試みているものが大半である。安岡はこの改革の先駆者だったのか。それと小説の面白さは別。

第29回
1953年前期
個人的感想 ★★

カイ 独特の観察とチミツな文章でもっている作風(坂口安吾)
ヤリ 感覚だけの作品(中略)、末梢神経だけの感覚であって、それだけで終っている(石川達三)