きれぎれ  町田康

 後年「告白」という傑作をものにする作家を良く拾い上げてくれた。芥川賞が取り逃がした、真正の作家性を有する作家は多いが、仮に町田を取り逃がしていたとすれば、それこそ同賞の権威は地に落ちていたかもしれない。
 これは無用の長物としての文学、有用性を拒絶する文学である。作家は自己戯画化を施さずに何か意味のあることを言おうとはしない。俗物根性は人並み以上に持っているが、また同時に大いに傷つきもする男。傷つくことを恐れてあらかじめ予防線を張りまくることが自然になってしまった男。それを不断に確認し続ける強迫神経症エクリチュール。本作は「告白」にたどり着くまでの遠い徘徊に過ぎないが、しかしこれが旧套を脱し得ない文学的身振りなどではないのはたしかである。

第123回
2000年前期
個人的評価 ★

カイ  反私小説の行き方を極端まで取ろうとしながら、いつのまにか私小説の矛盾域、のようなところへ踏みこんだ。(古井由吉)
ヤリ  駄じゃれとしても、低調の部類だろう。泰然と構えて、言葉の機能の奥深さを知り、洗練されねばならない(河野多恵子))