驟雨  吉行淳之介

  「女好き」の渡辺淳一の小説が、「女嫌い」の吉行淳之介の小説と、どうして似通ってくるのだろう。吉行の根底には女性恐怖があるらしいが、「夕暮れまで」に至るまで、彼の小説は女性からの受容を求めることだけに終始してしまっているように思われる。世間の吉行への支持は、身もフタもない自分の性生活に文学的表現を与えることを求める「もてる男」と、みずからは入手できない性の疑似体験を小説に求める「もてない男」からのものだったのではないか。それから、女性恐怖であるからこそ女性に優しい、そのやさしさを求める女性からの支持と。それらは、ある時代の日本人のかなり普遍的な心性だった。現在の日本人は、鏡に顔を映して、そこに渡辺の顔が映っていたら、女性への幻想から性欲というものの備給を受けている男というもののみっともなさに気づき、みずからを恥じるだろう。実は鏡に吉行の顔が映っていても、恥じるベきであることは同様なのである。ただ小説はさておき、彼のエッセイなどは、こむつかしい政治的時代をいかに「洒脱に」生きていけるかという問いに対するひとつの回答を時代に提供し続けていた。それが「驟雨」という、「墨東奇譚」を本歌取りした小説を書いた「昭和の荷風」たる吉行の本領だった。

第31回
1954年 前期
個人的評価 ★★

カイ  一作毎に商量の跡もあり作に気品も加えた(佐藤春夫)
ヤリ  当選と定ったからには今後の吉行君の努力、殊に文学態度についての反省を望みたい(石川達三)