ブエノスアイレス午前零時  藤沢周

  私はこの人の容貌を信頼していた。いい面魂をしているのである。作家たるものが備えていてしかるべき、と言いたくなるくらいの顔だ。だからいざその小説を読み、心に何も響くものがなかったとき、それをいきなり作家の責に帰せず、私の読み方の方に問題があると思ったのである。で、再読してみた。虚心に。―やはり、何にも心に響かない。ドロップアウトした男が、過去の回想に沈む耄碌した老嬢とダンスをする、それだけの話。あらすじが手軽に書ける小説。あらすじを書くとその他に何も残らない小説。そういう話でも、抑制された筆致というものがあれば、小説として認められ、評価されるらしい。なんだか疲れてしまう。思い切って言ってしまおう。―言う前に、念のため「サイゴン・ピックアップ」も読んでみてから。・・・やはり言うことにした。ブロガー生命をかけて(これには野田総理の政治生命をかけて、と同様、深い意味はありません)。これは偽作家の手になる偽の小説だと。時代小説で言えば、津本陽だ。剣道着を着て木刀をかざしているといかにも真正の時代小説作家に見えるが、作品は読めども読めどもみごとに空疎である。しかし偽作家と言われて怒ってはいけない。何年か後にはこれが最高の褒め言葉になっているかも知れないから。

第119回
1998年前期
個人的評価★

カイ  筆の走りを抑えて(中略)、形の整った小説を生み出すことに成功(黒井千次)
ヤリ  適当な記号的イメージを適当に並べて感傷的に味つけした中間風俗小説(日野啓三)