山塔  斯波四郎

 禅的に人生を追求する小説。あるいは人生=禅と捉える小説。こころは過度の脈絡に拘束されず、もっと刹那を感じて生きるべし、ということ。しかしそれはすでに一種定型的言説のパターンに過ぎず、現にこの私は何の啓発も受けない。一言半句でも良い、定型を超えた、読むものを震撼させる言葉を求めたくなるが、しかしこの種の禅小説は、そのようなものを求めること自体が迷いの中に埋没していることだと告げるだろう。高尚なのか高尚めかした口吻なのか、その両者の間の径庭は極微であるが、しかしそれが悟りの行程を述べる言説である限りは、内実は「相田みつを」的な低俗な人生訓にならざるを得ない。

第41回
1959年前期
個人的評価★

カイ  類似品のすくない作風である。リアリズム万能とでも云うようなちかごろの文壇に、こういう作家の登場はなかなか意味ふかいものがある。(石川達三)
ヤリ  何か面白い所もあるが、何かよくわからない、作者のひとり合点のような所もあった(瀧井孝作)

 斯波は小島信夫と共に森敦に師事していたらしい。小島の方が5年も早く芥川賞を取ったが、その辺のところで斯波と小島の間にはいろいろ軋轢があったようである。他に人脈を辿れば、斯波は丹羽文雄の門下に入り、また受賞前に井上靖に認められてもいる。文学におけるこのような師弟関係は今は消滅してしまった。アサヒカルチャーセンターの講師を師として崇め奉る人はいるかも知れないけれど。レヴィナスの語る「ラビ」の存在論的意味という視点で、小説界に師弟関係が復活することこそ、あるいは現在求められている、小説再興の契機になるかも知れない。「この文学は真似ようのないものである。こうした文学を最高のものだとは思っていないのだが、今日の文学者が見失っているものを、この作家は執念深く抱きつづけて来たようである」(丹羽)、「優れた作品の持っている響きのようなものが、絶えずこちらの心に伝わって来た。この作品には、人間の執念の悲しさや憤ろしさが、特異な構成とスタイルの中に捉えられてあって、心理の深部のあやめの解きほぐし方はなかなか鮮やかである。」(井上)等々、斯波の師たちは好意的評言を寄せたが、それはそれで褒詞というものの生産性を考えれば、意味のあることである(丹羽は本当は斯波を認めていないが、とにかく褒めている)が、そのような効果のことでは無論なく、小説を書くという存在的行為の絶対性をその絶対性のままで師から弟子に申し送る/切断する、という意味で。―これこそ、定型的な、禅的な言説か。