タイムスリップ・コンビナート  笙野頼子

 とりとめのない冗語の羅列。際限のない妄想の記述。観念奔逸症の如き文章を下手に褒められ乗せられて自分もその気になって純文学と思い込んでいるだけ。しかし、何人かの人がこれを文学だと言い、そう思わない人が黙っていたりすると、それは文学になってしまう。それでも一向に構わないけど、しかし彼女を認める編集者たち、彼女を褒める評家たち、文学かも知れないとおそれながら読む読者たち、それはただの「文学に不自由な人たち」の共同体にしか見えない。どんなに破壊的な表現であろうと、一点どこかで現実につながっていなければならないが、彼女の破壊性は現実から切断されている限りでの、破壊性であるに過ぎない。彼女の方法の先行きには文学が開けていくなんの望みも見出せない。

第111回
1994年前期
個人的評価★★

カイ 
 夢に呼びさまされた言葉を、できるかぎりその風味をそこなわずに輸送する、その技術をみがきあげて、しかもこの小説は(引用者中略)、はっきり眼ざめている観察に実力が見える。両者を結ぶ独特なユーモアもある仕事(大江健三郎)

ヤリ 
 しかしかういふ具合に、横へ横へと感覚をずるずるつないでゆく作風は(文章の藝のかずかずはじつに見事なのですが)、おしまひにうんと花やかな業を一つ決めてくれなければ見物衆が困ります。(丸谷才一)