おどるでく  室井光広

 「おどるでく」とは「何かワケの分らないもの」の象徴なので、それについていくら分析的考察をしても、それはそういう分析の手をすり抜ける当のものをさしているのであるから、無益である。カフカの短編「父の心配」(家長の気がかり)に出てくる「オドラデク」との関連を考えたりするのも無益である。ただし、このような小説を日本で書くには、すでに権威としてのカフカによりかからざるを得ないのも、カフカ顕名として(「カフカ式練習帳」の如く)出さざるを得ないというのも、日本的文学環境の現実かと考えられる。カフカを匿名で援用したりすれば、まかり間違えば「人間が書けていない」などととして一蹴されてしまうおそれがあるのだ。この難解かつ高踏的な小説は、ボルヘス論で群像新人賞を得た著者によって書かれ、なおかつカフカの残照を残すことによって、辛うじて評価の対象になったのだろうと思える。そうでなければ、このような衒学的散文は門前払いになるのが関の山だ。著者はその後、小説集と評論集をそれぞれ幾冊か上梓しているが、現在はほとんど教授業に専念しているようである。

第111回
1994年前期
個人的評価★★

カイ  
 ユーモラスなメタファーにあふれた場面が一種抽象的な図柄で絵巻物ふうにページを追うごとに読者をひきつける。知的な刺戟にあふれているが、イマジナティヴな面白さがある(大庭みな子)

ヤリ  もう一段、小説的抽象性への想像力の集中が必要なように思われる(日野啓三)