美談の出発  川村晃

 彼の晩年の、週刊新潮「黒い報告書」の執筆や、新聞やテレビでの人生相談などという仕事は忘れ去られるだろうが、芥川賞受賞に至るまでの彼の生活、亜ヒ酸による自殺未遂、共産党地下活動への従事、酒による失敗、筆耕屋、また酒による失敗、四人の子持ちの女性との同居などという、まるで地を這う虫の如き生活は、この小説とともに記録に残るだろう。この回の候補者はほかに七名いたが、後に受賞した田久保英夫河野多恵子、後に文名を高めた吉村昭を除く四名は、それぞれに秘められた人生を知られることもなく、忘却の彼方へ消える。この自らの生活を「美談」と宣揚して恥じない男に敗退してしまったわけだ。いかにも瀧井孝作永井龍男が好きそうな小説で、しかし技術が稚拙なのでさすがに認めないだろうと思ったが、両氏はちゃんと推挙していた。後は彼の高校の先輩である井上靖が本作を推挙している。

第47回
1962年前期
個人的評価★★

カイ 地味な作風だが、文章も確りしているし、主題の追求の仕方も執拗であり、それと目立たぬが、どこかにこの作家の独創性も感じられた(井上靖)
ヤリ 題名がこの小説の秘密をさらしている。そういうつもりでこの小説が書かれたのだと思うと、興ざめがする(丹羽文雄)