自動起床装置  辺見庸

 睡眠と覚醒をめぐる哲学小説のようなもの。しかし哲学小説に不可欠だと思われる、世界の謎の根源に迫りたいという希求はハナから存在しない。あるのは、ある小世界を逍遥し、その間の心の揺らぎを書きつけるだけの自足である。現代文明の衰弱を描いた、と文庫本の裏表紙に書いてあったが、衰弱を「描いた」のではなく、単なる衰弱の「漏出」である。

第105回
1991年前期
個人的評価★

カイ  作品全体にふしぎな魅力がある。何か飄々としてユーモアのある悲しみのようなものだ(日野啓三)
ヤリ  語り手の人物にまず骨を通すことも、虚構の大事(古井由吉)

 その後の辺見の文筆活動は、彼がこの衰弱にとどまっていたわけではないことを示している。石巻市出身の彼が、大震災前後に出版した二つの詩集(66歳にして上梓した処女詩集「生首 詩文集」および「眼の海」によってそれぞれ中原中也賞高見順賞を得ているのは、かの震災が和合某という「詩人」だけに回収されたわけではないことの証左かとも思い、心強く感じる。かの震災は和合レベルの「詩人」までをも呼び出さざるを得ない惨事だったが、文学的応接としては一つも二つも不足していた。辺見の詩がその応接足りえているか、これらの詩集未読の私には分らないが、しかし「もの食う人びと」の著者が、還暦過ぎになって書いた「詩」である、と言うことだけで充分信頼するに足るような気がする。