夏の流れ  丸山健二

 「まだ見ぬ書き手へ」を面白く読んでいた私は、当時受賞最年少記録を更新(清水基吉26歳5ヶ月→石原慎太郎23歳3ヶ月→丸山23歳0ヶ月→綿矢りさ19歳11ヶ月)したこの作者の受賞作を構えて読んだ。構えて読んだせいか、結末のあっけなさに拍子抜けしてしまった。なにかまた「小説の旨み」というものを味わい損ねたのだろうか。日本でも死刑のときにカトリックの神父が立ち会うということに改めて違和感を覚えただけで、死刑執行の具体的ダンドリについて情報を得れば「誰にでも」書ける小説のようにも思えた。しかし小説は非日常的世界を解説するための道具ではない。それに死刑執行の際の生と死の目くるめくような転変を、我々はすでに映画でよく見て知っている(「ダンサー・イン・ザ・ダーク」、「チェンジリング」等)。これらの映像が表わすものを凌駕する強度がこの小説の言葉にはなかった。死刑自体の情報の希少性はもうない。となると一体何がこの小説に残っているのか。斬新なものもないが、この小説にはしかし古びるものもない。してみるとギリギリの表現の永世を目指してそれに成功しているという点では、若書きの小説としては恐るべき水準に達していると言えるだろう。つまり、抑制的な筆致で、視覚的に書く、という彼の小説作法は今でも、模倣すべき小説の良法なのではないか、と思える。

第56回
1966年後期
個人的感想★

カイ  題材に圧されることなく、一貫した呼吸づかいで、むしろ鈍重な筆致で書き上げた(永井龍男)
ヤリ  作者は二十三歳だそうだが、この作品のかぎりでは冒険的な青春は感じられない(石川淳)

 三島由紀夫がこの回から(正確には前回から、前回当選作なし)詮衡委員となった。三島評/「男性的ないい文章であり、いい作品である。(中略)しかし二十三歳という作者の年齢を考えると、あんまり落ち着きすぎ、節度がありすぎ、若々しい過剰なイヤらしいものが少なすぎるのが気にならぬではない。そして一面、悪い意味の『してやったり』という若気も出ている」