冥土めぐり  鹿島田真希

 欠格的人間である家族に拘束された女性奈津子の再生の物語。しかしあまりに低格過ぎる再生の物語だ。物語の背後に「父」の不在がある。「父」(奈津子の祖父)の記憶を持っている母と、「父」がすでに不在の奈津子と、「父」の堕落した姿である弟と。しかし「父」不在であれば、これ幸いとこれらの不全家族とさっさと縁を切ってしまえばいいようなものなのに、グズグズしてなかなかそうしないところが低格。
 世の中が「理不尽」であることの「説明」はあっても、理不尽である生の中にまるごと読者を投げ入れるような「表現」がない。母親や弟の人格的不全が分りやすすぎるし、そもそも家族がそのような欠格的人間だったということは不運とは言い条、理不尽とは言わないだろう。母親や弟に一方で執着し、憎くても離れられないというのであれば、理不尽と言えると思うが。夫の太一が脳発症という「手段」で、「父」の立場を降りてこの理不尽さを脱したというのも、これまでの理不尽の説明の延長にあるだけのような、理に落ちた感じがするだけ。この太一というトリックスターの力で最後にようやく母親と縁を切る契機を見出すが、平成の読者でなくとも、やっとかよ今頃かよ百十枚もかけて引っ張るなよ、と思うのがせいぜいではないのか。途中までは、表面上礼儀正しく、「大変ですね、何か私に出来ることはありますか」とでも言ってやるしかないな(そんなものがはじめからないことを重々承知しつつ)、と思いつつ読んでいただけに、半ば予測どおりの結末に導かれると、心配してやっただけ損したなと思わされた。
 重厚なテーマと取り組んでいるとは思うが、こういう小説は読者を安心させてはダメなのだ。奈津子のイジイジにつき合わされるだけではなく、母親とはおまえだ、弟とはほれ、他ならぬ君のことだ、理不尽とはあんたの生そのものだ、と読者にぐさりと切り込んでくる芸が見たい。
 
第147回
2012年前期
個人的評価★

カイ  作者のもっとも伝えたい「奇蹟」を不器用なまでに真正面から書いている(高樹のぶ子)
ヤリ  レトロな少女趣味が好きになれない(宮本輝)