村の名前  辻原登

 畳の原材料の調達という特殊な題材をどのように取材したのかと考えたが、経歴を見てみたらやはり著者の実体験であるらしかった。日本での藺草の生産量が落ちていること、藺草を台湾、中国から買い付けていること、これらは少し調べれば分る。しかし「藺草の蒸れた甘酸っぱい臭い」というのは、生きられた経験がそこになければ出てこない表現だ。中国語の知識もなかなかのもので、誰やらの、便器のBBT-14802Cというような記号で小説の具体性を間に合わせている奴(絲山秋子)とは話が違う。共産党に蹂躙された村の娘が香港に脱出するのを助ける日本商社員の恋心に共感できればこの小説の読後感も変わってきただろうが、それ以前に、桃源郷という幻想の中国の姿が浮かび上がってくる話に幻惑されて、この小説を単純なロマンスとして味わうことは放棄させられた。かと言ってこの幻想譚にうまく幻惑されきるわけでもなかった。

第103回
1990年前期
個人的評価★

カイ  われわれの文学の宿題みたいになつてゐるリアリズムからの脱出といふことを、かなりうまくやつてゐる(丸谷才一)
ヤリ  日本人たちをとりかこむ中国人の側にもさらに想像力を働かせることで、いったんグロテスクをくぐりぬけての、よりフェアな自他の見方が達成されえたのではないか(大江健三郎)

 彼の近作「ジャスミン」や「許されざるもの」はあるいは私に読書の喜びをもたらしてくれる小説かと期待しているが、まだ読む機会がない。あまり読もうという意欲が湧かないのもそれが不急のテーマであると感じているためか。