父が消えた  尾辻克彦

 なんとなくこの人は名文家たるところで評価されたのだろうと思っていたが、読んでみたらそうではなかった。多分、前衛芸術家、赤瀬川源平ペンネームを使い分けていることからくる先入観のせいだろう。この文章では別に源平でいいのではないか。そうかといって文庫本裏表の赤瀬川の手になる装丁の如く「ポップアート」風なわけでもないのだけれど。その内容においても「平等主義」と「資本主義」、というようなナイーヴな対比的思考をベタにしているのは、前衛芸術家らしからぬところ。後年これと同型の一種トンチンカンな対比をマイケル・ムーアの映画「キャピタリズム」に見出した。この映画で、実は経済に疎いムーアは「資本主義よりも民主主義を」といヘンな主張をして終わってしまっているのだ。

第84回
1980年後期
個人的評価★★

カイ  尾辻氏だけの文体と言葉と感覚(遠藤周作)
ヤリ  残念ながら私は支持することができない。書くことが何もない(開高健)

 この回、田中康夫「なんクリ」が候補になっていた。これにコメントしているのは大江健三郎だけ。「風俗をとらえて確かに新鮮だが、風俗のむこうにつきぬけての表現、つまりすぐさま古びるのではない文学の表現にはまだ遠いだろう。」「一般に軽薄さの面白さも否定しないけれど、文学の批評性とは、やはりもっとマシなものではないだろうか?」大江は、文学となるとまともな発言をしているのに、こと政治となると別人の如くトンチンカンになってしまうのはなぜだろう。彼もまた「資本主義」に対して「平等主義」「民主主義」をアンチテーゼに立てているのだろうか。