草のつるぎ  野呂邦暢

 本作は著者の自衛隊入隊の経験を生かした小説だ。しかし読み始めるとすぐにあたかも集団的軍事訓練を前にしたような倦怠感に襲われる。肉体的苦痛はまだしも、耐えられないのはそれが退屈極まりないものであることが予測されるためだ。これが実戦であれば、退屈するヒマなど許されようもないはずなのに。自衛隊の内情や長崎弁のもの珍しさが消えると、残るのはただの平板な叙述だけ。途中で先を数えると、まだ二段組で40ページもある(芥川賞全集)。意味のない匍匐前進を強制されたかのように疲労感が押し寄せる。開高健の言う「クー・ド・グラース」は見出されるのか。それは実戦で真の敵と遭遇するに等しいことだから、訓練を扱うこの小説では始めから無理なことなのか。
 「挿弾子を装填していると遊底に黒い点が浮いては消えるのが不思議だった。顎からしたたる汗が灼けた鉄に落ちては蒸発しているのだった」という経験者しか書けない細部や、戦闘訓練時の肉体的苦痛の描写は面白いが、それらは、あまりにも未整理に雑然と詰め込まれている。例えば「草のつるぎ」というものも、偽装網にくくりつける草を刈るために密かに買ったナイフを指していると思われるが、最初にちょこっと出てきただけで、後は鎌に変わってしまっている、という風である。― 無色透明の他人になりたいと願ったが、自分が始めから何者でもなかったと気づいた ―という述懐がこの小説の内的クライマックスだが、実戦ならぬ模擬訓練にあいふさわしいミニ覚醒というところで、それが最初からこの小説の身の丈である。

第70回
1973年後期
個人的評価★

カイ  きらきらした才能を押えて、深刻がるふうもなく、思わせぶりなところもなく、百五十枚を一気に読ませて、さわやかな感銘をあたえた(丹羽文雄)
ヤリ  悪い作品ではないが、私には思わせぶりにおもえるところと平板なところが目立ち、不満(吉行淳之介)