土の器  阪田寛男

  「土の器」とは瀬戸物などのことではなく、キリスト教で言う人間の肉体のこと。キリスト教徒である母の晩年を描く。タイトルにキリスト教を引いた割には、内容はその母を取り巻く親族の仏教的諦念である。
 自らの母の病中の苦闘と変貌を描くことに一体何の意味があるのか。母と子の間にあるもの、そして消えて行ったものを拾い出して普遍に達するというほどでもなく、あくまでも作者の個人的「経験」ならぬ「感慨」にとどまっている。小谷野敦氏の落選作「母子寮前」に対する某氏の「闘病小説の割には内面の葛藤がない」という評をここで持ち出したくなるが、ママンを失くしたムルソーの如く葛藤も何もないならともかく、「心の揺らぎ」とだけしか言いようがない中途半端な葛藤があるだけに、その中途半端さが気になる。病者たる母の強さが、この葛藤の欠落を生じさせているのだが、その強さがキリスト教への信仰のせいなのか、それとも明治生まれの彼女の素養に由来しているのか、そこを明確に追求すればもう少し読み応えのある小説になったかもしれない。単に亡き母の形見ということなら、それには小説は、たとえ「私小説」というものであっても、適していない。記録にとどめるか、歌でも詠んでおくがよい。

第72回
1974年後期
個人的評価★

カイ  この小説の面白さは、作者の観察の正確さから出て来るもので、そういう意味では大人の小説である(井上靖)
ヤリ  わかりやすい文章は結構だが、しかし、一般向きで弱く平凡(瀧井孝作)