やまあいの煙  重兼芳子

  朝日カルチャーセンターの「駒田信二の小説教室」出の受賞作家として話題になった。しかしその出来はやはりカルチャーセンターどまりとでも言うしかない。登場人物にもストーリーにも無理がある。こんなに知った風な口を利く隠亡がいるだろうか。仏教の修行などまるまる割愛しながら俄か坊主のような観点を入手し、それを元に遺族に抹香くさい説法をする焼き場の職員(しかも若い男という設定である)。自分ならたちまちその人間の贋物性を見抜く。誰しもそうではないのか。それを「無償の献身」の美しさとして描くのが本作のモチーフらしい。笑止なことである。それに、異常性欲の病気にかかった息子と性交を持った母親が、その身の上話を隠亡に滔々と語るという設定はあまりに不自然ではないか。カルチャーセンターの小説教室でも「ほんとうの生き方」を書く方法は学べたりもするだろう。そして運がよければ芥川賞が取れたりもする。しかし根本的にはそこには「作家」(思い切って「文士」と言ってもよい)はいない。
 重兼は仏教徒ではなくクリスチャンの洗礼を受けている。彼女はガンを発病し、夫とも死別するなど、「大作家」足るべき人生の紆余曲折には欠かない人生を送ったのだが、カルチャーセンターの教導よろしくただ死と老いと病とを語り続けただけである。
 生と死についてちょいと考えればそれが小説なのか。小説を舐めるな、駒田信二

第81回
1979年前期
個人的評価★★

カイ  この作品では妄執がふいに消えて晴朗が登場した(開高健)
ヤリ  作者の人間性というものが大切なことに気がつけば、小説なんか片手間に書けるなどといううぬぼれは叩きつぶされるであろう(丹羽文雄)
 
 本作は「愛しき日々よ」というタイトルで映画化されていた。隠亡役が「もんたよしのり」と聞けば、そのハマリ役ぶりの想像がついたことであった。