榧の木祭り  高城修三

 都会にも西洋にもまだ開かれていない日本の郷村における性風俗としての祭り。性と供犠の秘祭。彼らは元々山人なのだろう。そうであればこそ、食料としての榧の実をもたらす榧の木が神様となる。しかし彼らは同時に白米をお白さまと言って尊重する。農耕に転業させられた山人ということか。抑圧されたものの回帰として、木の実の豊饒を祭る儀式が継続しているのか。これはまた「姨捨て」同様に、閉鎖した社会での人口調節として措かれた風習でもある。それにしても、一番優れたものを供物として神に差出し、一番劣ったものを里の外に追放する、これでは過剰調節にならないのか。この風習をまともにに解説してくれる評者がいないので虚実の別は不分明。民俗的な学究の資料はないものか、柳田でも折口でも、宮本常一でも。作品としてはもっと短く切り詰めれば、ボルヘス「マルコ福音書」を摩する作品になったかもしれない。作者は他にめぼしい文業はなく、古代史研究家のようになってしまった。

第78回
1977年後期
個人的評価☆

カイ  最後まで祭りの真相を知らさず、描写によって納得させていくあたり、あざやかな腕前である(丹羽文雄)
ヤリ  目はしのきく青年が、現代ばなれという現代風の題材を小器用にまとめただけという印象(中村光夫)