僕って何   三田誠広

 文章がリーダブルで好ましいが、逆に言えばそれは<僕って何>という問い、自己分析が甘いためである。学生運動というものがいかに跼蹐したものなのか良く分るという資料性はある。運動家によっては、この小説では遠景視されている暴力にもっと深くコミットした人間もいるだろう。しかしそれも人間性の根源としての暴力に触れえたということではなく、ただの粗暴性の発露でしかないように思え、その範囲で跼蹐した運動だったのだ、と思えてくる。授業料値上げ反対運動の中に、どのようにしてマルクス・レーニン主義が入り込んでいったのか。多くの学生が観念に取りつかれていく過程も、その観念で学生を動かそうとしている真の主体も見えてこない。1968年が歴史的な革命の年であるという説は、例えばこのような小説を読んだ限りでは、ありえたことではないという思いがする。その疑問の由来するところは、運動は学生の内的な自発性によるのか、それとも外部の何者かの使嗾煽動によるのか、いずれとも判定し難い、というところにある。前者に着目してそこに歴史的な意義を見出すのもいいが、事実としての歴史を見れば後者のほうが現実的である。コミンテルンが発揮したロシア、中国の政治的悪意を思えばそれは歴然としている。そこまで視線が及んだとき始めて「地獄の釜のフタ」が開くのが見えるのだろう。地獄の業火を感じもするのだろう。高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」(1981)はそのような地獄を見た人間によって書かれた小説ではないのか。しかし<「私とは何か」という重い問題を、「僕って何」という軽い問題に変換>(山崎行太郎)した三田にはその業火は見えるべくもなかった。

第77回
1977年前期
個人的評価★★

カイ  しかし、それなりに不安定な対象に密着しつづけて、ともかくも一時代の青春の一局面を、散文の世界に囲いこみえている(大江健三郎)
ヤリ  独自の冒険がなく、安全な書きかたをしているのが多少、物足りなかった(遠藤周作)

 見城徹によると、芥川賞をとったばかりの三田誠広は新宿の飲み屋「茉莉花」で、中上健次に「<僕って何>だ ? ふざけんじゃね−よ」と怒鳴られ、ミネラルウォーターの瓶で殴られたらしい。三田はそれで肋骨を折ってしまった。その理由が「三田は文学ではない、だから拒絶して殴る」という粗暴なものである。一説によると芥川賞受賞で有頂天になった三田が「若手文壇番付」みたいなものを書いたことが中上健次の怒りを招いたらしい。このとき三田は多分29歳、2年前に芥川賞を取った中上は31歳。酒の席の狼藉として済んだのか後日二人は仲直りし、三田には中上健次をまじめに論じた文章もある。それにしても学生運動ではなく文壇というものから暴力の洗礼を受けたことに三田は驚いたことだろう。柳美里が絓秀美に平手打ちをしたり、野坂昭如大島渚の頭をマイクで殴ったりした事例はあるが、肋骨骨折は前代未聞。