総括

 2012年の1月に始まり同年12月まで、ほぼ1年にわたって、芥川賞受賞作を読んだ。1935年の第1回から2012年前期147回までの受賞作全152編。評価として、プラス評価(☆一読の価値あり)、マイナス評価(★特に読む必要なし)に分け、それぞれの星の数でプラス度、マイナス度を表わしてみた。プラスは☆☆(才能が認められる)、☆☆☆(傑作と認められる)、までの3段階であるが、★のほうは★★(受賞した事が不可解)、★★★(候補になったことが不可解)、★★★★(文芸誌に載ったことが不可解)、果ては★★★★★(作者の人間性を疑う)と5段階になり、すこし調子に乗りすぎのキライあり。当方に確たる文学理論があるわけでもなし、当初は勝手に評価をつけることが恐れ多く、気が引ける思いがしたが、詮衡委員の選評を読み重ねるにつれ、感覚批評であることは選考委員も同断であることを知り、だんだん遠慮がなくなってきた。だから後半になるにつれ、点数も辛くなる傾向がある。読書も一年にわたるとムラが出るし、時には虫のイドコロが悪かったときもあったりしたので、すべて読み終わった後、評価については調整した。概ねマイナスからプラスの方へ引き上げる調整になった。それでもプラス評価になったのは41作と全体の27%どまり。73%は★である。当初の評価では☆☆☆が2作あったが、全体を見ると☆☆との区別が付けられず☆二つに統合した。それにしても☆が少なすぎる。もっともっと目くらむほどの読書体験があるべきと期待していたのに、打率が3割を切れば、それは期待はずれだったということだ。しかし、77年間に41作という風に見ればそれは順当な収穫のようにも考えられる。芥川賞という、基本的に短編を対象とした、新人発掘のための賞の受賞作に、「決定的な小説は、まだ、書かれていない」という観想を抱くのは、筋違いなことである。それよりも、1編の受賞作の陰に屍累々ということを実感でき、そぞろ無情の念を抱いたことのほうが経験として大きい。何か決定的な才能が現れ、詮衡委員全員がその才能に戦きひれ伏す、というようなことは殆んどなく、大方の入選、落選はそれこそ時の運というものに左右されていることを思い知った。時の運という女神に愛された人に幸いあれ。
 今回最低評価だった作家の名前を再びここで上げれば、まず荻野アンナ。★5つどころか6つもつけてしまった。すなわち、「作者の人間性を疑う」どころか、その存在自体が「文学に対する侮蔑」としか思えない人。★5つは唐十郎、青野聰、4つは絲山秋子藤野千夜。このほか、古くは石川利光、菊村至、柴田翔などの点数が低く、新しくは大道珠貴伊藤たかみ花村萬月柳美里、そして畏れ多くも川上弘美先生などが嫌い、というか肌に合わない。
 ☆のほうには鶴田知也中山義秀八木義徳村田喜代子などのシブいところのみならず、ちゃんと川上未映子や、金原ひとみ綿矢りさ、それにモブ・ノリオも入っているので、満更新しいものに拒否反応を示しているわけではなく、その点自分の評価というか「感覚」を少し頼みにしてもいいか、と思う。