落選の研究

 前回受賞した鹿島田真希は実に四度目の候補での受賞であるが、芥川賞に数次候補になりながら結局取れなかった人たちの、候補回数の最高記録は六度で、該当者は五人いる。多田尋子、なだいなだ、増田みず子、阿部昭、そして島田雅彦の各氏。次点は五度で、これは川上宗薫黒井千次その他で総計九名。この中にはついに受賞できないまま自殺してしまった佐藤泰志がいる。そして四度となると二十四名もおり、その中で後藤明生吉村昭の二氏などは後に文名を高めたからいいが、この中にはやはり後年自殺した鷺沢萌や、惜しまれて交通事故死した山川方夫がいる。光岡明は四度の候補の後、直木賞に回った(江戸の仇を長崎で―芥川賞が取れず直木賞復権した作家は、角田光代車谷長吉佐藤愛子立原正秋壇一雄山田詠美渡辺淳一など十五名を数える)。次の三度―つまり三度目の正直にもならなかった人は四十五人。二度となるとこれは多すぎて数える気になれない。
 さて、候補になること六度という最高タイ記録を持ちつつ、自身芥川賞選考委員になりおおせた島田雅彦の落選の経緯が興味深い。「文学賞メッタ切り」の大森望豊崎由美が、2006年、ゲストに島田雅彦を迎えて行った公開トークショーがあるが、その中で島田が色々と賞の裏側を曝露しているのだ。「人事担当常務」吉行淳之介ではないが、島田は落選を重ねるたびに、賞の「人事性」を痛感、その人事権を握っている人物に意地悪をされたという感触を持っている。そりゃあ六回も落とされればそう思いもしよう。島田が後日古井由吉に教えてもらったらしいが、どうやらその意地悪な人物は安岡章太郎であるという。確かに安岡は初回の候補作「優しいサヨクのための喜遊曲」の時は、「これ一本では心許ない」、としながら、その後の候補作に対してはコメントをしていない。しかし無視するといえば丸谷才一の方が徹底していて、丸谷は四度目の候補の時まで選考委員だったが、一切コメントをしない、という徹底振り。選評をつぶさに読むと、島田の作品に一番理解を示しているのは大江健三郎であり、三度目まで毎回懇切丁寧なコメントを寄せている。しかし大江は文藝春秋社の雑誌「諸君!」の論調に抗議して芥川賞選考委員を辞任してしまい、四度目以降は島田を応援しようもなくなっていた。 大江はこの後、島田が六度目も落ち、事実上受賞資格をなくしてしまった後、再び選考委員に復帰してくるのだから、これは島田の不運である。選考委員に意趣を含まれたという不運、理解者が途中で消えてしまったという不運。しかし島田の落選はとどのつまりはこの不運のせいかというと、満更そうも言えない。島田が候補になった六回のうち、実際に受賞者が出たのは、一度だけだった。残りの五回は悉く受賞作なし、だったのである。つまり文学賞の最大の不運たる、たまさかの他の秀作、あるいは話題作とぶつかったために、受賞を逸してしまう、という不運は彼の場合はなかったのである。「クー・ド・グラース」のない小説は認めない開高健が島田の小説を認めないのは当然だから、それはともかくとして、随時コメントを寄せた中村光夫遠藤周作吉行淳之介三浦哲郎などの選評をフォローしたが、そこに作者と選者の有機的応答というものは汲み取れなかった。つまり、選評で指摘された点を参考にして、次作にそれを反映させたという風には見えないのである。四度目と五度目の候補の間に、先の大江のほかに選考委員の入れ替えがあり、あるいはそれで島田の評価のどん詰まりが打開される可能性もあったのにそうはならなかった。
 それやこれやを考えると、つまりは島田こそが「まれびと」だったのではないかと考える。これまでに文壇に新風を吹き込んだとされ、新しい価値を持ち込んだともてはやされた受賞作家は何人かいたが、しかし受賞したというそのことは、彼の文学が選考委員の手の内にとどまっていることの証左である。そういう意味では島田こそは文学に混入した真正の異物であったと言えよう。先の公開トークショーでは、話を向けられた島田が「(芥川賞を取らなかったせいで)ボクは数千万は損した。芥川賞直木賞も完全に利権ですもんネ」と言っている。落とされ続けたやっかみが当然入っているが、この「まれびと」の目に業界がどのように見えているのかを、雄弁に語るこれは発言である。因みに個人的には私も島田は認めていない。彼の作品を進んで読んだのは、近作「悪貨」で、その貨幣論というテーマに興味を抱いて新刊のその本を購入したが、まったくの期待はずれだった。ひたすら上滑りを続けた果てに中盤に腰砕けになってしまっている作品。私にとってブック・オフ直行という処分を受ける、数少ない本の一つになってしまった。その奇態な文章をはじめ、その発想から何から、私の肌には合わない。私としては島田は「落ちるべくして落ちた」と言いたいのだが、しかし受賞者一般が「受賞すべくして受賞した」とは、とうてい言えないことも分ってしまったので、そうは言えないのである。そういう島田がいまや芥川賞選考委員である。芥川賞が彼の劣化コピーで溢れかえらないことを希望するだけである。彼は自分の経験から、安岡の轍は踏まないことを宣言しているが、人は必ずしも意識して人事権を奮うわけではない。

 追記―初稿で候補回数六度の作家を四名としましたが、阿部昭も候補六度であり、五名と訂正しました。