暢気眼鏡  尾崎一雄

 私小説なので当然「私」語りなのだが、この「私」、とんでもなく尊大である。芸術に携わっているといういい気な自己矜持から、すべてを「上から目線」で見ているのだ。本人は、母も兄弟も裏切り、所帯ではナイーヴにDVまで働く、どうしようもない男であるにも係わらず。この「私」の存立基盤は確固としており、「私」が崩壊する恐れはさらさらない。―こんなにしてまで小説を書かなければならないのか、いや書かねばならないのだ―、という本人の自問自答も、彼の残した文学的成果を考えると空しく響く。志賀直哉に師事した割には、実生活がいい加減極まる。「芳兵衛」(松枝夫人)と一緒になってからは落ち着いたのだろうけれど。1925年、26歳で同人雑誌に『二月の蜜蜂』を発表して注目を浴びたが、その後低迷したまま1937年、その「苦節十年」を顕彰する意味合いの授賞の気味があるし、また単にその存在を面白がって選者が彼を「世に出した」だけのようにも思われる。

第5回
1937年前期
個人的評価 ★

カイ 文壇というものを、これほど嘲弄した滑稽快活な作品はかつて無かっただろう(横光)
ヤリ 書けない作家が書けない事を書いている作品、というものは昔から好きでない(佐々木茂索)