雁立  清水基吉

 戦前最後の芥川賞受賞作となるが、この時期に書かれるべきものとしては一つも二つも物足りない。清水基吉は後年小説家というより俳人として生きたが、俳人イコール名文家では必ずしもない。文章が下手だし、内容も単に淡い恋心を書いただけのもの。そこに祖国の滅びの予感などありようもない。もっともそのようなものを漂わせたら、受賞して世間の表面には出るというようなことはかなわなかったろう。しかし、三島由紀夫は既にその滅びの予感を内深く秘めた「花盛りの森」「苧菟と瑪耶」を書き、この年には「夜の車―中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋」を書いていた。

第20回
1944年 後期
個人的評価 ★★

カイ  格別な言挙のないのも好もしい、手法や作者の気質のなかに日本文学の伝統を見るのを喜ぶ(佐藤春夫)
ヤリ  「生活」の意味をこの作者はどう解しているのか。作品を通じての不安がそこから来る(岸田國士)

 小谷野敦氏が、高見順島木健作の日記から清水基吉の人柄をうかがわせる挿話を抜書きして紹介している。それによると芥川賞受賞後に島木健作を訪れた清水は、初対面であるにもかかわらず、島木が自分の名前を知っていて当然というような傲然とした態度をとっていたらしい。その島木から、話が退屈な男と思われていることも知らずに。また戦後開かれた「鎌倉文庫」の新年会で、呼ばれもせずに来た清水が、自分より20才も年長の国木田虎雄(国木田独歩の子)を呼び捨てにしたり、酒を持ってこさせたりして、その傲岸な態度に怒った高見順と口論になった。当時の最年少芥川賞受賞者(受賞時27歳)の鼻息とはこんなものだったらしい。
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