誰かが触った  宮原昭夫

 ハンセン病(小説発表当時は、らい病もしくはハンセン氏病)患者の特別学級を舞台とした小説。作中人物が語る、北条民雄いのちの初夜」の弊害、という問いかけは重い。北条の作品は同時代の患者の心の支えになったかも知れないが、隔離施設としての癩院を舞台にしたその小説が広く読まれ、癩=隔離が必要との根強い偏見を植え付け、助長したという一面もあるとする。
 療養所内の中学校分教場。その合併統合の動きの中での、療養者と教員の日常を描く。何ら告発などという姿勢を取らないこの小説は、偏見を除去する一助にはなるだろう。その意味での「いのちの初夜」の反措定を目論んだのかも知れない。しかし2001年、国家賠償訴訟での原告の勝利を通して、我が国のハンセン病に対する対策の非人間性が広く知られた今では、いかにも食い足りない小説になってしまった。宮原はその後作家としては大成しなかったようだが、2002年までは活動している。訴訟の結審は2001年である。彼はこのテーマに再度取り組むべきではなかったか。

第67回
1972年前期
個人的評価★

カイ  極めて明るいタッチで描いて成功した作品(安岡章太郎)
ヤリ  巧みさの点では抜群だが、モチーフが弱いために、その巧みさが浮いた(吉行淳之介)

 その2002年、加賀乙彦編集になる「ハンセン病文学全集」(全10巻、うち小説3巻、北条民雄以下13名の作家を収録)が刊行されたが、なぜかその中に宮原の名前はない。島木健作の「癩」も見当たらない。
 北条民雄を除くと、一番著名なハンセン病「文学」は松本清張砂の器」ということになるか。「業病」という言葉が使われているこの小説は「いのちの初夜」以上に偏見を助長したかも知れない。もっとも推理小説ということであれば、小栗虫太郎坂口安吾の作品などにも、癩病者は登場している。「砂の器」は宮原の小説の二年後、ほぼ原作そのままに映画化もされているので、影響力ということでは最大である。テレビドラマには五回もなっている。1962年、1977年、1991年、2004年、2011年。三作目以降は松本およびその遺族がドラマ化の条件として「ハンセン病」という設定にしないということを要求しているので、殺人事件を引き起こすほどの社会的負性を、「精神障害者」としたり、「殺人犯」あるいは「殺人容疑者」などとしているらしい。ハンセン病を巡る社会学位相を描いたものではなく、人間の深奥の精神を扱った真の文学作品(なぜ人間は社会的負性の存在を求め、それを作り上げるのか、という問題が水準となる世界)は、三島由紀夫の「癩王のテラス」(1969年)がそれにあたるのではないか。しかしこれは「ハンセン病王のテラス」とするわけには行かないし、どうなるのだろう。WIKIによると1998年以後の上演記録はないようである。