月山  森敦

 土俗というものの外在的研究。クンデラに言わせればキッチュというものになるかもしれない。

第70回
1973年後期
個人的評価★★

カイ  雪深い集落の冬籠りの生活を、方言をうまく使って、現世とも幽界ともさだかならぬ土俗的な味わいで描き上げた手腕(井上靖)
ヤリ  歌いぶりはちょっと面白いが、足もとが弱いと思った。切実なものがない(瀧井孝作)

 クンデラによると、キッチュとは「あばたをえくぼと化する虚偽の鏡を覗きこみ、そこに映る自分の姿を見てうっとりと満足感にひたりたいという欲求」(『小説の精神』金井裕・浅野敏夫訳)ということになる。この受賞作を読む限り、成熟した作家が陥りがちなこの弊を免れているとは思えない。しかし、森には何より柄谷行人から絶賛を受けた「意味の変容」という小説がある。柄谷から手放しの賛辞を受けた背景には、当然柄谷の個人的な事情がある。小林秀雄の衣鉢を継ぐべく「文芸評論家」の肩書きを求めそれを勝ち得ていた柄谷であるが「マルクス、その可能性の中心」に書き進むに至り、後年そうなるように自分が文学から離脱せざるを得ないのではないかという予感を抱いた。まさにその時この「意味の変容」を見出し、自分の思索に類するものが孤絶した「文学」になっているのを認め、それに「奇蹟的な作品」という魅惑的な賛辞を与えたのである。
 小説を書く、それは内部にいる、そのことを恐れないということだ。あるいは留保しつづけることを止めて動き出す、そのことを引き受けることだ。永遠に外側に立とうとすること、その態度からは評論しか生まれない。批評は優れた文学だが、血や肉の側に立った文学ではない。しかし森の関心ごとはまさしくこの内部と外部の数学的矛盾の解明であった。そのようなことに関心がある作家がおよそ作品の内部にとどまるはずもなかった。だからと言って、しかし芥川賞の候補にされ、瀧井孝作などから「切実なものがない」なとど言われるのは森にとって心外なことではあったろう。文壇から離脱した放浪とその後の高齢での芥川賞受賞が話題になったが、むしろ私などにはこの受賞は森のキャリアの一つの汚点のようにしか思えない。芥川賞を受賞してしまった、まさにこの一点で彼は「不合理ゆえに我信ず」を書いた埴谷雄高に引き比べて、その孤高というポジションを放棄させられてしまったかのようだ。なにしろ芥川賞作家という肩書きで作家がタレントの如くテレビに出てしまう時代である。
  森富子(森敦の養女)の「森敦との対話」を読むと、つくづく森敦というのは変人だと思う。奥さんも変人である。ある日著者が訪れると奥さんの前歯が二本ない。敦に柔道の技を掛けられて折ってしまったという。それでも奥さんはあっけらかんとしていたらしい。