いつか汽笛を鳴らして  畑山博

  「いつか汽笛を鳴らして」という表題は、今、ここではない時間と場所への希求を謳うが、実はこの希求ははじめからこの小説の外側にある。閉塞したこの小説世界からその外部への脱出が希求されても、この小説はその内部から外側に出て行こうとしない。出て行けない。そしてその脱出が不可能であることの絶望に真摯に対峙するわけでもなく、ただ自分の歪みきった攻撃性の中に自虐的に内閉しているだけである。この欠陥の故に、細部にどんなに才気ある表現が見られても、この小説は文学としては不足にすぎる。兎口に生まれた本編主人公よりも、親に口を切り裂かれた「ダークナイト」のジョーカーの方が存在の強さがある。アメリカのコミック/娯楽映画より、残念ながらこの小説は表現の強度では劣っている。ジョーカーには世界否定の意志があり、村上龍のようにそれを文学で表現することもできる。しかしこちらは世界に否定されるほうの小説であり、否定されたまま終わっているだけなのだ。

第67回
1972年前期
個人的評価★★

カイ  地味だが、ひたむきに引張って読ませて行くところはみごとである(井上靖)
ヤリ  悲しい心持の切実な物語だが、文章が稍くだくだしいのが、少し惜しい。強い簡潔の筆なら尚よかった(瀧井孝作)