家族シネマ  柳美里

 芸人河本某の母親の生活保護受給問題はもう旧聞に属するが、その河本は「オカン」ネタをはじめ家族ネタを持芸にしていた。姉や母親のさまざまな奇行を、笑いのネタにするのである。通常であれば、確かに収入が安定していない芸人の母親が生活保護者であろうと、特にとがめるべきことではないと思う。しかし、彼の場合は仕事の中でその母親を「いじって」いたわけであり、なにか生活保護受給とは別の道徳的不快感をそこに感じることは否定できない。それはともかく、家族の秘事がネタとしてことごとく明かされるを聞いて、身内に芸人がいるということは大変なことだな、と思ったものだ。
 柳美里の家族小説も、家族を題材にというよりは、家族をネタにした小説である。つまり、家族との関係を何か自分の心の痛みと共に見直して行くというようなものではない。単に大向こう受けを狙ってネタばらししているだけの話である。こういうのを読むと、身内に持つと大変なのは芸人だけではなく、作家が身内にいるということもまた大変だな、と思わされる。
 柳については、一度ラジオに出演していたのを偶然聞いたことがある。やはり何か家族の話をしていた。語られる家族も奇矯だが、語る柳もまたヘンな人だなと感じた。妙にネジが外れている感じ。まあ、その辺のヘンなところは、それこそ柳の「作家性」というものだから、それ自体は別に喋喋すべきことではない。この「家族シネマ」を読んで、私という一読者が「くだらないことに付き合わされた」という感想を抱いても、それ自体は大したことではない。全然生活圏も異なるし、文学観(というものをお持ちであると仮定して)も違うのだから、敬して遠ざけておけば良いのである。しかしあるテレビ番組を見たとき、やはり柳の言動は許容範囲を超えていると思った。1年ほど前に放映されたものだが、彼女が自分の子供を虐待していて、そのカウンセルを受けるということ自体をドキュメントにしている番組だった。不快に思いすぐチャンネルを変えた。なんだか商売でそういうことをしていると感じた。自分の男遍歴から出産から何から何まで「小説」のネタにしてきて、今度はわが子への虐待か。彼女の生い立ちには確かに同情すべき点があり、その言動の奇矯さも由来が推し量れるが、そうであればなおさらほかに(人間として !? )することがあるだろう。小説やテレビの番組にして自分という存在を追及する? バカな。何かまた小説が売れるような仕掛けになると無反省に思ってしたことだろう。こんな私小説作家に「恥を知れ」と言っても空しいことではあるが。彼女の小説から最も遠いものは「反省」というものであり、勢いいくら書いても、自分の攻撃本能を抑制するだけの教養には到達できず、妊娠や出産の苦労は小説でモトを取ったので、今度はこの虐待も、そのモトをとってやろうとしているだけのことだ。あの英明な福田和也がなぜこんな女を持ち上げているのだろう。

第116回
1996年後期
個人的評価★★★

カイ  兄弟・親子・夫婦というものの本質を捉えきっている。(河野多恵子)
ヤリ  親愛感ないし現実感の持てる登場人物は一人もゐないし、筋の展開はどう見ても乱暴(丸谷才一)